速報
亡き夫と戦死の義父つないだ「認識票」 津の辻さん、反戦の思いあらたに
太平洋戦争の終戦三日前にフィリピンで戦死した義父の「認識票」を、津市新町の辻登美子さん(75)は大切に保管している。二〇一四年に米国在住者から返され、奇遇を喜んだ夫はその一年後に亡くなった。辻...
8月19日
<満州の地にて 福井県民の移民から90年> (4)篠原憲司さん(敦賀)
旧満州(現中国東北部)からの過酷な引き揚げを体験した人の中には、戦後になって手記を残...
満蒙開拓団の歴史見つめて 旧大日向村のドキュメンタリー映画上映
満蒙(まんもう)開拓団として村民の半数が旧満州(現中国東北部)に渡った旧大日向村(現...
<語りつなぐ 戦後77年> 爆撃のたび肝を冷やす・奥田庸子さん(96)
「もう空襲も気にしなくていい。やれやれだ」。奥田庸子(つねこ)さん(96)=大垣市世...
<学びはその時 戦後77年> (8)基地跡で学ぶ生徒たち 美浜・河和中
海の近くに立つ美浜町の河和(こうわ)中学校。太平洋戦争中にあった海軍の航空基地から、...
【戦後77年インタビュー】「鬼より怖い」配属将校が頭を下げた日 木村博さん
岐阜市の木村博さん(90)は、岐阜県恵那市の旧制恵那中学校(現恵那高校)の1年生として、13歳で終戦を迎えた。同校には「鬼より怖い」と恐れられていた配属将校の中尉がいたが、終戦から1カ月ほど後...
8月15日
【戦後77年インタビュー】旧満州から命がけの逃避行 中島茂さん
6歳の時に、満蒙開拓団として家族で旧満州に渡った長野県飯田市の中島茂さん(87)。小...
8月12日
【戦後77年インタビュー】亡き戦友へささげる絵 鈴木道郎さん
太平洋戦争末期に組織された海軍の特攻部隊「伏龍」。「人間機雷」とも呼ばれるこ...
8月11日
【戦後77年インタビュー】おやっさんの手紙 宮崎和喜さん
大津市中央で2018年までカフェレストラン「エンプティ」を営んでいた宮崎和喜さん(7...
8月8日
【戦後77年インタビュー】豊川海軍工廠の空襲 大藤礼子さん
「東洋一の兵器工場」と呼ばれた豊川海軍工廠(愛知県豊川市)への空襲から7日で77...
8月4日
歩哨舎が残る豊橋公園(愛知県豊橋市)
旧吉田城址(じょうし)や豊橋球場などがあり、長年、市民の憩いの場として親しまれている愛知県豊橋市今橋町の豊橋公園。かつて歩兵第18連隊が置かれていた名残から、入り口には電話ボックスほど...
8月10日
伊良湖射場の気象塔と福江観測所跡(愛知県田原市)
キャベツ畑やゴルフ場などが広がる愛知県田原市の渥美半島先端にかつて、旧日本陸...
豊川海軍工廠跡(愛知県豊川市)
愛知県豊川市中心部に広がる工業団地の一角に、「豊川海軍工廠(こうしょう)平和...
愛知航空機永徳工場の滑走台(名古屋市港区)
名古屋市港区野跡5の市稲永スポーツセンター付近の岸壁から、幅30メートル、長...
被弾ピアノ(三重県名張市)
黒塗りのアップライトピアノの足元に穴があき、木目がむき出しになった姿は戦争の...