速報
かつて確かにあった、あるいは現在進行形のスポーツと関わる物語を掘り起こす「リアルストーリーズ」。本紙朝刊スポーツ面に連載。
<三重の一番星> 数字系裏方、中日とも縁 (番外編)プロの世界で
四日市高(四高)が三重県勢初の全国制覇を成し遂げた1955(昭和30)年夏の甲子園、...
4月18日
<三重の一番星>四日市高・甲子園制覇の軌跡 (10)伊勢路の大優勝旗
1955(昭和30)年、夏の甲子園決勝から一夜明けた8月18日、四日市高(四高)ナイ...
4月17日
<三重の一番星>四日市高・甲子園制覇の軌跡 (9)満身創痍のエース
上昇気流を完全につかみ、たどり着いた1955(昭和30)年8月17日、夏の甲子園決勝...
4月16日
<三重の一番星>四日市高・甲子園制覇の軌跡 (8)準決勝前夜、宿舎に「ドスン」
廊下に見張り役の下級生が立つ。「ドスン」。閉じたふすまから重低音が漏れる。 ...
4月15日
<三重の一番星>四日市高・甲子園制覇の軌跡 (7)「せめて1勝」から快進撃
マウンドも、外野のフェンスも。不思議なことに守備位置の本塁から、全てが近くに見えた。...
4月14日
<三重の一番星>四日市高・甲子園制覇の軌跡 (6)隙のないプレー徹底
修学旅行の代わりに行った関西遠征で甲子園を体感した四日市高(四高)野球部は、意欲を高...
4月13日
<三重の一番星>四日市高・甲子園制覇の軌跡 (5)遠征試合でプレー機会
重苦しい空気が漂っていた。1955(昭和30)年の春、新3年生となった四日市高(四高...
4月9日
<三重の一番星>四日市高・甲子園制覇の軌跡 (4)三岐大会 大きな壁に
夏の甲子園には栄えある1915(大正4)年の第1回大会に東海代表として山田中(現宇治...
4月8日
<三重の一番星>四日市高・甲子園制覇の軌跡 (3)闘争心養った200本ノック
「100本ノック」とはよく聞くが、その数をとうに超えていた。削られる体力と精神力。小...
4月7日
<三重の一番星>四日市高・甲子園制覇の軌跡 (2)8年前の屈辱が原点
四日市高(四高)と甲子園の縁は、戦後間もない1947(昭和22)年、富田中時代にさか...
4月6日
<三重の一番星>四日市高・甲子園制覇の軌跡 (1)初出場優勝
鋭角が八方に広がる「八稜星」。地元で四高(しこう)と親しまれる三重県立四日市高野球部...
4月5日
<剛腕ソラの人生> (番外編)球友のエール 「伊予の健児 幸あれ」
波瀾(はらん)万丈の人生を駆け抜けてきた児玉泰さんが、中日時代に残した二つの「悔...
1月22日
<剛腕ソラの人生> (10)20代で引退、一から出直し 証券マン、異色の転身
20勝をマークした3シーズン後、児玉泰は1962(昭和37)年限りで現役引退した。「...
1月21日
<剛腕ソラの人生> (9)夢に見るほどの悔い 偉大な肩書を逃した
実働8年間のプロ生活。今でも「たまに夢を見る」と明かす、悔いが二つある。 1...
1月20日
<剛腕ソラの人生> (8)スターぞろいの同学年 長嶋筆頭に多士済々
1935(昭和10)年7月生まれの空谷泰には、同学年のスター選手が多士済々だ...
1月19日
<剛腕ソラの人生> (7)苦笑いのダブルヘッダー 書き間違え 連続先発
さまざまな逸話を残した空谷泰も、思わず苦笑いで振り返るのが1957(昭和32)年7月...
1月18日
<剛腕ソラの人生> (6)日本シリーズ、幻の先発 大エース、連投の裏で
松山商で夏の甲子園を制し、入団した中日でリーグ優勝を果たした。人がうらやむ輝かしい道...
1月17日
<剛腕ソラの人生> (5)新人で7勝挙げる活躍 若き速球王、初V貢献
前代未聞の入札という暗い影を引きずりながらも、ともかく1954(昭和29)年、空谷泰...
1月16日
<剛腕ソラの人生> (4)前代未聞の入札、中日へ 大人の騒ぎ、母校に影
その話題になると、みるみる表情が曇っていった。 「一番、嫌な思い出だね」 ...
1月15日
<剛腕ソラの人生> (3)「神風」吹き起死回生V 熱投13回、支えた満腹
海に近い甲子園球場には、独特の強い風が流れる。熱投の剛腕をねぎらった勝利の女神が、思...
1月14日
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