速報
太平洋戦争中の1944(昭和19)年3~10月に、中日新聞社の前身である中部日本新聞社が発行していた「中部日本新聞戦時版」の紙面をこちらからご覧になれます。
東近江の遺族会、慰霊碑周り整備 継承への危機感が背景
終戦から76年がたち、遺族の高齢化や遺族会員の減少が進む中、当時建立された戦没者を慰...
2021年9月20日
国策映画手掛けた父の足跡追う 名古屋で10月上映
「編集の神様」と呼ばれた父は戦時中、インドネシアで国策映画を手掛けていた−。ドキュメ...
2021年9月18日
渾身の記憶つないでいく インパールで従軍、父が残した自叙伝
亡き父が太平洋戦争中に日本軍のインパール作戦に参加した体験を、マラリアの後遺症に苦し...
2021年9月12日
1945年7月の体験、動画で解説 「一宮空襲知って」
太平洋戦争末期にあった「一宮空襲」の体験者が語る映像が、動画投稿サイト「ユーチューブ...
2021年9月9日
<戦後76年 語り継ぐ信州の戦争> 松本・柳沢房芳さん(99)
戦後、帰郷を夢見てたどり着いたのは極寒の地シベリアの収容所だった。松本市の柳沢房芳さ...
2021年8月31日
平和願い、紡いだ校歌 名古屋・桜山中出身の前田さん回顧
学校のシンボルともいえる校歌。一九四七年に創立された名古屋市昭和区の桜山中の校歌は、...
<語りつなぐ 私の戦争体験>(7) 米ぬか混ぜて食べた 森美代子さん(83)=大垣市
終戦の年の一九四五(昭和二十)年四月、大垣市内の小学校に入学しました。戦争中の記憶と...
2021年8月27日
<語りつなぐ わたしの戦争体験>(6) 姉の手すがり逃げた 古田かよ子さん(81)=岐阜市
大垣の街が燃える様子はこの目では見ていません。姉に手を引かれ、ただすがって逃げ延びた...
2021年8月26日
<語りつなぐ わたしの戦争体験>(5) 目の前の家に焼夷弾 長野朔夫さん(91)=岐阜市
一九四五年七月九日の岐阜空襲の時は、八ツ梅町の実家にいて、父と母の兄、弟二人と命から...
2021年8月25日
遺族ら寄贈の日章旗 飯田で当時を象徴する資料展
戦争と平和について考えてもらおうと、遺族や戦争体験者から寄贈された資料の特別展示が、...
2021年8月24日
<語りつなぐ わたしの戦争体験> (4)長く残ったトラウマ 小川龍馬さん(85)=各務原市
九歳のころ住んでいた、岐阜駅南の岐阜市加納伏見町で岐阜空襲に遭いました。家の近くの防...
<語りつなぐ わたしの戦争体験> (3)赤い軌道、今も記憶に 井深登久子さん(78)=大野町
岐阜大空襲(一九四五年七月九日)の日、二歳七カ月だった私は、岐阜市西野町に住んでいま...
2021年8月23日
戦争の悲惨さ語り継ぐ 名張で「平和のつどい」
名張市南町の名張産業振興センターアスピアで二十二日、平和について考える催し「戦争はい...
悲惨さ語り継ぎ風化させぬ 松本・神林で平和祈念式典
松本市神林地区の平和祈念式典が二十一日、同地区の平和祈念碑前で開かれた。戦争の悲惨さ...
2021年8月22日
<語りつなぐ わたしの戦争体験> (2)骨箱の中、紙切れだけ 遠藤昭敏さん(87)=川辺町
私には十歳違いで兄のように慕っていた叔父がいました。元船乗りで、ハイカラな人でしたが...
占守島の戦い伝える企画展 豊橋
太平洋戦争直後に不可侵条約を破り、ソ連軍が侵攻した千島列島の北東端・シュムシュ島(占...
「権力者止めるのは民衆の声」 鈴鹿で終戦迎えた94歳の元特攻隊員男性
旧日本海軍の特攻隊員で、鈴鹿海軍航空隊(鈴鹿市)で終戦を迎えた男性(94)=東京都八...
2021年8月21日
旧南向村で和紙製造、風船爆弾関与の歴史に迫る 中川でパネル展
中川村の旧南向村が戦時中、風船爆弾用の和紙製造に関わっていたことが分かり、村歴史民俗...
戦時中に毒ガス製造、大久野島が舞台 豊川の今泉さん小説を出版
豊川市一宮町の会社員今泉英明さん(63)が、戦時中に旧日本軍の毒ガス製造工場があった...
<語りつなぐ わたしの戦争体験> (1)出兵前日、突然の残留 渡辺誼さん(98)=瑞穂市
私が故郷の和知村(現八百津町和知)の青年学校に通っていた時、先輩が中国で戦死しました...
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