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引っ越し大名 大野を聖地に

映画とタイアップした越前大野城入場半額キャンペーンをアピールする広沢由理さん=11日、大野市観光協会前で

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松平直矩 父の転封が始まり

 家臣とその家族を引き連れた国替えを題材にした映画「引っ越し大名」のモデルで、生涯七回もの転封を経験した江戸時代の大名松平直矩(なおのり)の引っ越し人生のスタートは大野市だった。大野藩主だった父直基(なおもと)の転封が始まりで、ルーツとなる同市が映画ゆかりの地として注目を集めそうだ。 (山内道朗)

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 市教委文化財課によると、直基は初代福井藩主結城秀康の六男(五男の説もある)として一六〇四年に生まれ、二四年に越前勝山藩三万石に入封。三五年に越前大野藩五万石に転封し、大野藩主を務めていた四二年に直矩が誕生した。出羽山形藩十五万石に移った後、播磨姫路藩十五万石への転封を命じられたが、道中に死亡したとされる。

 直矩に負けず劣らずの引っ越し人生だが、理由について同課の田中孝志学芸員は、将軍の権力確立を推し進めた五代将軍徳川綱吉の政策が大きいと見る。山形への転封は「東北には伊達家や佐竹家といった有力大名がおり、にらみを利かせる目的で一門の越前松平家を送った可能性がある。五万石の直基は移動させやすかった」と推測。姫路への転封は「西国防衛の重要拠点。石高は同じだが、実石高は姫路の方が良い」と山形での功績が認められた可能性があるとした。

 一方の直矩は、越前松平家の肩書が災いして悲惨な引っ越し人生となったようだ。姫路市立城郭研究室によると、直基が亡くなったのは直矩が七歳のとき。重要拠点を任せられないとする幕府の方針で越後村上藩に転封。後に姫路藩主に返り咲いたが、越後騒動仲裁の不手際を問われ、映画で取り上げられる豊後日田藩七万石に移された。同室の工藤茂博さんは「独裁制を確立したい綱吉にとって越前松平家のリーダー格だった直矩はうっとうしい存在」と説明。綱吉は当時、一門であっても理由をつけて家を取りつぶすなどしており、越後騒動を越前松平家の力をそぐ口実にしたという。

 直矩は出羽山形、陸奥白河へと石高加増で転封して十五万石に戻ったことから工藤さんは名誉回復が徐々に図られたとみている。

 直矩の引っ越し人生の出発点で、直基が藩主を務めた大野市では十一日、映画とタイアップし鑑賞券の半券持参で越前大野城の入館料を半額の百円にするサービスを開始。担当で市観光協会の広沢由理さんは「ゆかりの地をめぐるきっかけにしてほしい」と話した。

 

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