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三重ニュース

候補者の横顔 <2区>

◆中川正春さん(62) 民前 ウオークが気分転換に

 民主党政権の中核として文部科学相や防災、少子化担当相などを歴任した。「野党は理想を語るのが役割。与党は理想を現実に近づけることが求められる。難しさはあるが、やりがいがある」と振り返る。

 津高在学時に「七〇年安保」に触れ、政治に関心を持った。「当時、世界の中心で勉強するならワシントンかモスクワ。モスクワは暗いから嫌だなと。でも行く方法がまったく分からなくて」。出身地・松阪市のカトリック教会に飛び込んだ。米国人神父の助けで留学を果たし、国際情勢を学んだ。

 座右の銘「和して同ぜず」は、誰とでも協調するが、道理や信念は忘れないという意味。県議時代には「二大政党制を進めるべきだ」と自民から日本新党へと飛び出した。思い立ったら考えを貫き、節目で決断する姿勢は「今も変わらない」と自負する。

 ガーデニングやテニスをはじめ多趣味だが最近はご無沙汰で「公務で多忙だったので、自宅に戻って妻の顔も見られなかった」。その中で健康と気分転換の方法は、街中のウオーキング。議員宿舎から皇居や赤坂、築地までの往復を一時間ほど歩くと「いろいろな発見がいっぱいあって面白い」。

 <記者の印象>芯の強さはひしひしと伝わるのに、近寄りがたさがない。穏やかな表情、三重弁を交えて語り掛けるような演説が、そう感じさせるのだろう。「ありのまま、自然体」という自己分析が、周囲の評と見事に一致している。

(鈴木智重)

◆珍道直人さん(45) 維新 父の影響で政治に関心

 党本部から公認を告げられたのは、先月十八日。急きょの出馬となったが「政治塾に参加した今年一月から、どの選挙区でも絶対に出ると腹は決まっていた。母が鈴鹿市出身なので、まったくの落下傘でもない」と意に介さない。

 「公務員は労働者である前に奉仕者であるべきだ」というのが元県幹部の父の口癖で、子どものころから政治に関心があった。「中央集権を打破し、優秀で、地元をよく知る県や市の職員に財源を渡すべきだ」と訴える。

 JR東海時代にオーストラリアに赴任した際に大企業の名刺が通用せず「自分の能力を高めねば」と実感。汚染土壌を調査、処理する社員三十人ほどの環境関連企業に職を転じた。

 「国家経営がなされてない国政には、民間で企業をマネジメントした人間が必要」。現職場では東日本大震災のがれき処理の仕事も経験。「民営化直後のJRとベンチャー的な小企業、被災地での仕事と経験している候補者は全国でもまれでは」と胸を張る。

 趣味はスポーツ観戦。中学、津西高時代に続けた野球に加え、一番の楽しみは長女のソフトテニスの応援。「わが事のように興奮してしまう」

 <記者の印象>頭の回転が速い。「日本の企業は五重苦、六重苦、七重苦」とテンポ良い口調や例え話のうまさは、維新の橋下徹代表代行をほうふつ。会社の朝礼で演説を練習し、政治談議を酒のさかなにしてきたたまものと聞き、納得。

(鈴木智重)

◆島田佳和さん(42) 自新 民間企業で広報を担当

 「一次から三次産業がそろい、世界に誇る鈴鹿サーキットもある。こんな面白い選挙区はほかにないと選んだ」。川崎市出身。骨をうずめる覚悟で、県連の公募に名乗りを上げた。

 東日本大震災を機に国政を志した。福島県に住む両親や親戚が被災。いとこが津波に流され、津波から逃れた伯母は避難所で亡くなった。「いまの国家は災害から守ってくれる状態にない。残りの人生、国のために働きたい」と思いは深い。

 前職はF1チームを運営している飲料メーカー「レッドブル」で広報を担当。二○○九年から三年、F1日本グランプリ開催時に鈴鹿サーキットを訪れた。「F1時だけでなく、常時渋滞ばかり。道路インフラが弱い。外から来た人間だからこそ指摘ができる」と訴える。

 「英語を身に付け、視野を広げねば将来はない」と高校卒業後に留学を決意。米本土で最も物価が安いユタ州を選び、新聞配達や飲食店でのバイトで費用を賄った。

 趣味は学生時代から続ける野球とサッカー。十九日に第二子が生まれる予定で、妻と四歳の長男は横浜市に残している。コミュニケーションはテレビ電話。「果報が二つ続けば」とほほ笑む。

 <記者の印象>柔らかい物腰。向かい合って話す政策や考えは、すっきりと分かりやすい。二十年の民間勤めでは多くの期間、企業の顔として新聞やテレビ各社を回る広報や宣伝業務を務めたという。経歴を聞いてうなずけた。

(鈴木智重)

◆中野武史さん(38) 共新 祖母の介護を通じ入党

 「各党が右傾化し、国のあり方の根本が問われる分かれ道に立っている」と危機感を示す。国政選挙は参院選の三回を含めて六度目の挑戦。「ゆがんだ政治を断ち切ってこそ、明るい未来が開ける」と力がこもる。

 入党は高校時代に祖母の介護を通じ、共産党の福祉施策に触れたのをきっかけ。大学卒業後に半年間務めたスーパーでのつらい体験で政治を志した。

 早朝から深夜まで不払い残業が続き「動悸(どうき)がして、このままでは死んでしまう」と感じた。「労働者の賃上げと雇用を改善してこそ財政や経済の再建につながる」と雇用問題を訴えの中心に据える。

 「組織力が下がっていると反省した」。県書記長として挑んだ二〇一〇年の参院選で党は大敗した。2区、3区を回る北勢地区委員長として「表からは目立たないが、党の存在価値を知ってもらえるように地域の職場や学校を回ってきた」と手応えを示す。

 津高で山岳部に所属して以降、鈴鹿の山を登ってきた。ただ、中学時代に覚えたカヌーとともに、一歳半になる長男の誕生以降は中断中。「趣味の時間はしばらくお預け」と、休日はもっぱら買い物や散歩と家族サービスに費やす。

 <記者の印象>政治の現状を憂う、熱っぽい口調が止まらない。それが長男の話に転ずると、思わず目尻が下がる。傍らに置いた水筒の中身は、妻がいれた温かい麦茶。のどを潤す姿に、家族思いの一面を感じた。

(鈴木智重)

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