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三重ニュース

候補者の横顔 <3区>

◆岡田克也さん(59) 民前 健脚で多忙さ乗り切る

 歴史的な政権交代を果たし、外相や党幹事長など要職を歴任した。東日本大震災は幹事長の時に発生し、直後に党の対策本部長を務めた。原発事故の数カ月後、福島県を訪問した際、四人の子を持つ母親から投げ掛けられた言葉が今も胸を突く。「住んでいて大丈夫ですか」と。「政権交代後、一番こたえた言葉だった…」

 あの母の気持ちに触れ「原子力にはより慎重でなければいけない」との確信を深めた。その思いが党のマニフェストでうたった「二〇三〇年代の原発ゼロ」につながった。

 副総理として臨む今回の選挙はかつてないほどの逆風。期待された政治主導について「政務三役が各省の意見の代弁者になってしまうことがあった。大臣の力量の問題だ」と反省する。一方で「自民党ができなかったことをわれわれはやった」と自信をのぞかせ、実績を国民に訴えるため選挙期間中も応援演説に全国を飛び回る。

 政権の中枢を担う超多忙な毎日でもマシンを使ったランニングは欠かさない。ダイエットも兼ねているが「甘い物好きが災いして、体重は減ったり増えたりです」と照れる。健康維持は「与党であれ野党であれ、一日一日が真剣勝負だ」という覚悟を支える原動力だ。

 <記者の印象>垂坂山、藤原岳、祖母の家の柿の木…。中学まで過ごした三重県のことを話す時、“笑わない”顔が緩んだ。神経をすり減らす国政の舞台。強い気持ちを支えるのは、遠い少年時代の思い出なのかもしれない。

(南拡大朗)

◆桜井宏さん(56) 自新 「阪神」直視し政治志す

 北見工業大(北海道)工学部の助教授だった十七年前、阪神淡路大震災が起きた。震災の数日後、被災状況を調査するため被災地に足を運び、変わり果てた町並みにがくぜんとした。

 大学での研究テーマは、コンクリート構造物の設計や維持管理だった。災害大国といわれる日本で、建物やインフラの耐震補強を計画的に進めていく重要性を感じ「国民の生命と財産を守るのは政治の役割だ」と政治家を志すようになった。

 党主催の勉強会に参加していた縁で、候補者の公募に応募した。3区は民主党の地盤が強く、地縁もない。周囲は驚いたが、出馬に迷いはなかった。四日市コンビナートをはじめ、産業施設が多い。自分の経験を生かせる場所だと思ったからだ。

 趣味は中学生時代から続けている剣道で、三段の腕前。大学では顧問も務め、学生たちと一緒に汗を流した。自分の性格を「長所はおおらかなところ。長所が過ぎて、のんきなところが短所かな」と分析する。

 尊敬する人物は、幕末に江戸城の無血開城を主導した勝海舟。「世の中の動きをしっかり見つめ、決断することが政治家の資質だと教えられた」と熱く語る。

 <記者の印象>語り口は論理的で、専門用語が次々と飛び出す。第一印象は典型的な学者タイプだったが、大学での講義後に学生と居酒屋に行き、議論を戦わせた思い出をにこやかな表情で振り返る姿に、気さくな人柄をのぞかせた。

(佐野周平)

◆釜井敏行さん(30) 共新 田中正造の姿勢見習う

 皇学館大で社会福祉を学び、老人保健施設や中学校の特別支援学級で介護や介助の仕事を経験。二〇〇五年に共産党に入り、長時間労働の問題や核兵器廃絶運動などに取り組んできた。

 東日本大震災の被災地でがれき撤去や被災者の要望の聞き取りなどのボランティアもし、人間を動かすエネルギーは「誰かのために何かをしたいという気持ちだ」と再認識した。「社会を良くしたい」。初めて臨む選挙で、その心にしのばせるのは純粋な動機だ。「信念は何があっても貫く」と性格を分析する。一方で「断るのが苦手」というお人よしな一面も。尊敬する政治家は、市民を守るため足尾銅山鉱毒事件を告発した田中正造。命を掛けて取り組んだ姿勢を自分も見習いたいと思っている。

 3区はコンビナート企業の多い地域で「大企業の論理を優先する社会から、働く人の立場を優先する社会に変えたい」と願う。宮沢賢治の言葉「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」が座右の銘。

 レトロな建物を巡るのが趣味といい、「時間が止まっている感じが癒やされる」。車の中で流すのは尾崎豊。特に好きなのは「きっと忘れない」。人への優しさがあふれる曲だ。

 <記者の印象>うそがつけない人だ。「頼まれたら断れなくて」と笑うが、道理に反することは絶対に引き受けないだろうと思わせる安心感がある。好きという宮沢賢治もこんな青年だったのかもしれないな、と思った。

(神谷円香)

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