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三重ニュース

<1区 激戦の構図>(中) 維新の胎動

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 七月中旬の蒸し暑い空気が覆う琵琶湖。夕刻の湖上を屋形船が滑っていく。

 船上には、後に日本維新の会に合流することになる前衆院議員の松浪健太(41)=当時、自民党=や滋賀県南部の元首長ら。前津市長の松田直久(58)の姿もあった。魚料理をつつきながら現政権や地方政治について意見を交わした。

 食事後、参加した一人が説いた。「松浪さんは次は維新から出るだろう。滋賀に足場をつくるための会だった」。維新が水面下で動きを活発化させていた。

 松田は知り合いだった松浪に誘われ、足を運んだだけだったが、その後、松浪を通じて維新との関係が生まれることになる。

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 松田の“古巣”の民主の足元も政局を見据えて揺れ始めていた。

 八月中旬、三重1区内の民主系の県議四人が動く。伊賀市の中井洽(70)事務所に出向き「次の選挙は応援できない」と十一期務めた大物に勇退を迫った。

 「松田が本命だ。ただ素直に禅譲するか」。民主系県議が予想した通り、中井は出馬の意欲を見せた。これが松田擁立の動きを鈍らせ、その間維新との距離を縮めていく。

 九月初旬、維新への合流を目指す国会議員でつくる勉強会に参加した。「維新側もうちでやる気があるのか、『踏み絵』を迫ったということでは」と、松田に近い人物が推測した。維新とのつながりが公になったが、「出馬は全くの白紙だ」と打ち消しに躍起になった。

 一方、勉強会出席後に小さくなっていた民主の松田擁立の声は中井の引退表明で再び浮上する。知事選で担いでおり、最も適切な候補。擁立に関わる関係者は「要請を受けると思う」と自信を見せた。民主は松田を軸に擁立作業を本格化させていった。

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 十一月に入り、国会では解散風が吹き始めていた。関係者によると、勉強会後も維新の国会議員と連絡を密に取り合っていた松田は解散直前、合流する腹を固め、最終的に民主の要請を断った。

 民主にとっては「裏切られた気分」(県議)で、副総理の岡田克也(59)も「若干フェアなやり方じゃなかった」と苦言を呈した。

 松田が最終的に民主の要請を断った理由に国会議員への強い不満があったとされる。

 二十一日に維新から出馬表明した際、会見でこう語った。「連合三重や県議には知事選が終わっても僕のことを考えてもらった。今でも友人だ」

 選挙で圧倒的な強さを見せてきた県連、連合、県議会がつながる三重県方式−。そこで戦ってきた松田からついに「国会議員」への言葉は聞かれなかった。 (敬称略)