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私が変わると「私たち」が変わる 作家・いとうせいこうさん、ネットで

いとうせいこうさん

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 衆院選にあたり、作家のいとうせいこうさん(53)がインターネットで発表した「一羽の鳥について(あらゆる選挙に寄せて)」という文章が話題になっている。十三日までに延べ四万五千人以上がツイッターやフェイスブックで紹介。投票を呼び掛ける大きなうねりになって拡散している。

 文章は三日、さまざまな意見や論考を紹介する政治メディアサイト「ポリタス」に発表された。特定の候補者や政党を支持しない有権者について「浮動票と言われる『私たち』は渡り鳥のようなもの」と例える。群れが旅立つ時にどの鳥が出発を決めたかを考えると「『私』という一羽の鳥が、としか言えないのではないか」とし、一人の投票が社会を変えるきっかけになることを示唆している。

 文章を読んだ人々のうち一万人以上がツイッターで取り上げたり、「選挙前に必読!」「投票に絶対行く」などと感想をつぶやいたりした。他にもフェイスブックで三万五千人が紹介した。

 いとうさんは、本紙で新年から始まる「平和の俳句」の選者を務める。サイト上では「自由に近くの人にでもお配りください」とのメッセージも添えている。(文章は「ポリタス いとうせいこう」で検索)

◆「一羽の鳥について」

 「一羽の鳥について(あらゆる選挙に寄せて)」(抜粋)は次の通り。

 自分一人が投票したところで何も変わらない、と多くの人は思う。選挙を前にして自分が無力であると感じる。その感覚に傷ついて無関心になる人もいる。だが、「自分一人が投票したところで何も変わらないと思う一人」が投票すると社会が変わる。私は何度かそういう選挙を見てきた。

 (中略)

 私が変わると「私たち」が変わる。私が行かない投票には何千万人かが行かない。私が行く投票には何千万人かが行く。

 特に浮動票と言われる「私たち」は渡り鳥のようなものだとイメージしてもいい。渡り鳥は飛び立つ時間をあらかじめ知っているのではなく、みんなで行きつ戻りつするうち突然旅に出る。その時、どの鳥が出発を決めたか。最後はリーダーが決まってくるとしても、飛ぶ群れの起源を遡(さかのぼ)ればどうなるか。「私」という一羽の鳥が、としか言えないのではないか。

 さて、もしもあなたが「私たちが変わったところで政治家が変わらないのだから意味がない」と思うなら、それはそれである種の「政治不信というキャンペーン」によって「無力」さを刷り込まれているのだと私は考える。国民が「政治不信」になればなるほど、組織票を持つ者が好き勝手にふるまえる。むしろ無力なのは選挙に落ちるかもしれない政治家の方だということを思い出して欲しい。

 選挙期間というのは「無力」さの逆転が起きる時間なのであり、結果を決めるのは例の「私たち」以外にない。つまり「私」以外に。その時「力」はどちらにあるか。あなたにある。これが選挙というものの恐るべき、スリリングな本質だ。