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<課題の現場から>(6) 避難者

原発事故関連の資料を広げ、先の見えぬ二重生活の不安を話す工藤睦美さん=長浜市で

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 前向きに笑顔で暮らそうと思っている。でも不安は常にある。「いつまで、こういう生活が続くのか分からない」。移動に約十時間、距離は五百キロ。東京電力福島第一原発事故を受け、群馬県板倉町から長浜市に避難してきた工藤睦美さん(45)は二週間に一度、夫の住む板倉町と長浜市を行き来する。

 二年前の東日本大震災直後、福島第一原発に異変が起こっていることを知った。インターネットで旧ソ連で起きた一九八六年のチェルノブイリ原発事故を調べ、「同じことが起きているのでは」と疑った。

 テレビを通じて、「直ちに健康に影響はない」と繰り返す政治家の言葉は信じられなかった。「とにかく遠くへ」。震災から五日後、義母と二人で長浜市の知人を頼って逃げてきた。

 板倉町へ通う生活の経済的負担は重い。新幹線は使わない。長浜から在来線で名古屋まで行き、長距離バスと再び電車を乗り継ぐ。家のローンを残し、夫は勤めている道路会社の仕事を辞めるわけにはいかない。「避難は神経質という人もいるけれど、放射線測定器の数値は確実に長浜市より高い」。不安はどうしてもぬぐえない。

 福島事故後には、福島県の自主避難をしている妊婦と子ども(十八歳以下)に六十万円、ほかの人に十二万円が二回払われた。給付範囲となっていない地域に住む工藤さんは対象外。「賠償金を欲しいとは思わない。もっと必要な人がいる」と言う。

 疑問なのは補償が一律であることだ。「賠償金がなければ自主避難できない人もいる。一方で賠償金がなくても十分に避難できる人もいる。それぞれに事情があるのに、一律というのはおかしい。誰の避難する権利も奪ってはいけない」

 その思いは、昨年五月に夫婦でチェルノブイリを訪れて一層、強くなった。事故現場から百三十キロ離れたウクライナの首都キエフ。持参した放射線測定器は毎時〇・一七マイクロシーベルトを指した。除染が必要な地域と定められる毎時〇・二三マイクロシーベルトに近い数値だ。

 事故があった格納容器から四百メートルまで近づくと毎時十マイクロシーベルトに。二十六年たっても事故は終わっていない現実が目の前にあった。「健康被害を減らすには避難しかない」。確信は深まった。

 東日本大震災に伴う避難者は六月六日時点、復興庁が把握しているだけで二十九万八千三十三人。このうち原発事故に起因する避難者は相当数いる。福島県だけみても五万四千人が県外避難。行政が把握していない自主避難者合わせれば数字はもっと大きくなる。

 「被災者に寄り添う」「東日本大震災からの復旧復興が第一」−。参院選挙で候補者らが訴える言葉は聞こえはいいが、復興予算が被災地と無関係な事業に費やされる実態も明らかになっている。被災者が忘れ去られようとしている空気も時間の経過とともに濃くなってきた。

 工藤さんは強調する。「原発事故は、危ないと知りながら声を上げなかった国民全員の責任。福島だけのことでなく全国の問題」。生活を見直す転換期でもある。参院選はその意思を示す好機だととらえ一票を投じるつもりだ。

(塚田真裕)

 =終わり