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滋賀

<課題の現場から>(2) 9条、96条問題 

(右)「憲法を変える必要がない」と訴える谷本さん=大津市京町で (左)「国防軍」の明記を訴える小斉さん=野洲市高木で

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 連日の空襲。死と隣り合わせの日々が続いた。敵の戦闘機は、米兵の顔を目で確認できるほど低空飛行していた。「二〜三メートル離れたところにいた、朝食を一緒に食べた戦友が目の前で死んでいった」

 大津市京町の写真店経営谷本勇さん(89)は、一九四四(昭和十九)年十一月に八日市陸軍航空隊に入隊。翌年陸軍大正飛行場(現八尾空港)に転属し、大阪大空襲に遭った。転属後の三〜六月はほぼ毎晩、空襲で眠れなかった。航空機を格納庫に運ぶ作業では、一緒に運んでいた戦友を失った。

 谷本さんは復員後、勤めていた銀行に復職。体を壊して退職後は好きなカメラの道に進み、結婚もし、子どもをもうけた。「戦争中にお嫁さんや子どもと切り離された人の無念さ、命の大切さが分かった」と自らの戦後を振り返り「戦争放棄を明記した立派な憲法だ」と九条のありがたみをかみしめる。

 「戦時中は紙切れ一枚。ハガキ代一銭五厘の価値で、国民が戦争に借り出された。いかに人権が無視されていたか」とも。「人間同士がなんで戦わなければならないのか。戦争を体験せず、改憲を唱える政治家に問いたい」と思う。

 戦争を体験したからこそ、国の守りを固めてと望む声もある。

 野洲市高木の小斉伊佐雄さん(82)は終戦の日の夜、一晩だけ死を覚悟した。十四歳だった。六歳のときから旧満州(中国東北部)で暮らし、四五年六月から学徒動員で奉天(現瀋陽)の軍需工場で朝から晩まで働いた。

 玉音放送は雑音でよく聞こえず、終戦ではなく「戦闘停止」だと受け止めた。就寝した午後十一時ごろ、非常呼集を告げるラッパが鳴り響いた。小隊の編成後、士官が「ソ連軍は戦車部隊を先頭に進撃を続行中。直ちに出動する」と説明した。

 真っ暗闇の中、三十分ほど歩き、たどり着いた松林の中で士官に見せられたのは、爆雷入りの木箱だった。「これを持って戦車に突っ込めということか」。歯が震えた。約二時間待機したが、ソ連軍が迫ってくることはなく、命は救われた。「生涯で最も長かった夜」と振り返る。

 満州では二回、拳銃を持ったソ連兵が自宅に入ったこともあった。外国に攻められたという経験と「ソ連が憎い」という記憶から、五二年に保安隊に入隊、八二年まで陸上自衛隊に勤務した。

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 戦争で十分な教育を受けることもできなかった。「二度と戦争を繰り返してはならない」と強く思う一方で「攻撃を受けたときに負けない力が必要」と必要最小限の防衛力があるべきだと主張する。憲法を改正し「自衛隊という戦力を認め、国防軍とはっきり明記することで、自衛隊の士気も高まるはずだ」と考えている。

 憲法をめぐっては、安倍晋三首相が憲法の改正手続きを定めた九六条改正への意欲を示している。自民党が昨年四月に公表した改正草案では、九条を変えて自衛隊を「国防軍」と明記。公約には「広く国民の理解を得つつ、憲法改正に積極的に取り組む」とある。

 民主党は九六条の先行改正に反対。憲法の三原則を守った上での未来志向の憲法構想を唱える。共産党は九六条の改憲をやめさせるとし、憲法の全条項を厳格に守ると訴える。

 護憲か改憲か。戦争体験者の間でも考えは分かれる。この参院選は議論の場に有権者の声を届ける大切な機会となる。