長野

<主な候補者はこんな人>若林健太さん(52)自現=公

2016年6月25日

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 「十八歳のころは体制に対して批判的だった。少なくとも自民党支持ではなかった」。当時、農水省官僚で後に環境相や農水相を歴任した父正俊さんへの反発心が少なからずあった。

 大学は法学部卒の父とは違う経済学部を選び、慶応大に進学した。在学中に正俊さんが衆院選で初当選したとき、父の選挙を手伝う中で中小企業の社長らと出会った。「偏差値人間だった自分が世の中を知った瞬間だった」と語る。

 大学卒業後は「多様な社会を自分の力で生き抜きたい」と試験を突破して公認会計士となり、東京の大手監査法人で働いた。

 転機は二十六歳の時に訪れた。監査法人のニューヨーク事務所への海外転勤が決まっていたが、正俊さんが衆院選で落選した。親戚や支援者から「おまえが支えないで誰が支えるんだ」と懇願され、悩んだ末、長野市で会計事務所を開業することを決断した。

 会計事務所の運営は苦労の連続だった。「看板立てていたら顧客は来る」とのんびり構えていたら、誰も来ない。資金の五百万円はすぐに底をついた。母親も亡くし「おはらいしなきゃ」と思う日が続いた。営業開拓に走り回り、三十代で事務所を軌道に乗せた。

 会計事務所を経営しながら、青年会議所(JC)で街づくりや消防団の活動に関わる中で「人さまの役に立ちたい。地域や国に貢献したい」と、政治への思いが膨らんだ。

 政治への初挑戦は二〇〇六年の県知事選。JCのOBでつくるグループに担がれる形で立候補を表明した。自民党県連の候補者公募に手を挙げた。会見で父親との関係を問われ「政治家としての決断は親子でも他人」とはっきり述べた。

 しかし、当時の田中康夫知事に対抗する候補一本化の流れで立候補断念に追い込まれた。「多くの仲間を巻き込んでおきながら出馬できなかった。大きな挫折と言える」と語る。

 正俊さんの引退を受け、〇九年十二月に自民党県連の候補者公募に申し込み、一〇年七月の参院選で初当選。「座長を務めた日本経済再生本部チームでまとめた提言が地方創生のための政策になった。会計士や街づくりの経験などこれまでの集大成をぶつけ、いい経験だった」と振り返る。

 趣味はジョギング。実行委役員を務める諏訪湖マラソンではランニングウエアを着てあいさつし、そのまま出場する。「走るようになったら夜更かしをやめ、朝型になった。健全な身体には健全な精神が宿る。体調はすこぶる良くなった」。選挙期間中は中断しているが、毎朝八キロのジョギングは欠かさない。 

 (沢田佳孝)

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