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北陸中日懇話会

背筋伸ばし のど開き乾杯 サッポロビール文化広報顧問 端田氏

「知って得するビール学」と題して講演するサッポロビールの端田晶文化広報顧問=金沢市のホテル金沢で

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 北陸中日懇話会の九月例会が十九日、金沢市内であり、サッポロビール文化広報顧問の端田晶(はしだあきら)氏が講演した。ビールが国内に普及した明治時代の背景などを紹介し「ビールを製造できることが文明国であることの証明にもなった。一刻も早く国産化しなければならないという思いがあったのでは」と解説した。(阿部竹虎)

 欧米諸国が日本に進出した明治時代の初めごろ、横浜の外国人居留地に住んでいた軍人や貿易商らは、本国から輸入する酒を楽しみにしていた。ところがビールは腐りやすく取り寄せるのが難しかったため、外国人居留地で醸造したのが歴史の始まりだ。

 北海道開拓が進むと国主導で現地にビール醸造所が設置され、現在のサッポロビールの原型になった。大麦とホップの栽培を通じて第一次産業を振興させる狙いがあったほか、函館港から海外に輸出できるメリットもあった。

 一九〇六(明治三十九)年、札幌麦酒(現サッポロビール)を含む大手ビール三社が合流し、市場シェアの四分の三ほどを占める「大日本麦酒」が誕生した。新一万円札の肖像画に採用された渋沢栄一は同社の取締役に就いた。現一万円札の福沢諭吉は著書で「ビィールという酒あり。これは麦酒にて其(その)味至って苦けれど、胸膈を開く為に妙なり」と語っている。要約すれば「ビールは苦いけれど友達ができるお酒」であり、本質を言い当てた言葉だ。

 戦後になると、大日本麦酒は解体され、各社の競争が始まる。家庭用の販路に強みがあったキリンビールは冷蔵庫が普及した追い風を受け、大きく成長した。

 ビールは背筋を伸ばして、のどを大きく開くようにして飲んでほしい。乾杯して高く掲げたジョッキを下ろすのではなく、そのまま口に近づけてみるのがコツだ。また、精神的ストレスを感じると舌が苦味を感じにくくなるとされ、まろやかにスーッと飲むことができる。「苦労するほどビールがおいしい」のには理由がある。

     ◇    ◇    ◇

 次回は十月十一日に金沢市香林坊の金沢東急ホテルで、防衛省防衛研究所地域研究部長の兵頭慎治氏が「激変する東アジア情勢と日ロ関係の行方」と題して講演する。問い合わせは懇話会=電076(233)4643=へ。

 

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