トップ > 北陸中日新聞から > popress > 特集 > 記事
眉とメーク 平成映す
眉毛は、時代を映す鏡−。日本の女性が古くからこだわってきた眉は、化粧の流行が時代を反映すると言われている。まもなく平成が終わり、新元号の発表まであと8日。平成ってどんな時代だった? 資生堂が発表した研究結果をもとに、女性の眉毛と化粧で平成を振り返りつつ、次の時代を彩る「新元号の化粧」を通して、平成後に思いを巡らせた。(堀井聡子) 平成元〜5年 太さに強さ平成の幕開けはバブル絶頂期。薄く下ろした「すだれ前髪」からのぞく太い眉に強さが感じられる。一方、口紅は真っ赤やローズピンクなど鮮やかな色、目元は薄いピンクや紫で女性らしさも兼ね備えている。体のラインを強調した服「ボディコン」が大流行した。 平成6〜10年 極細や脱色バブルが崩壊し、眉毛は一転、極細になった。「スーパーモデル」ブームが世界中で巻き起こり、海外のトップモデルのような茶髪と小顔見えメークが流行した。髪色に合わせて眉毛をブリーチする人も。厚底ブーツにミニスカートの「ギャル」文化が台頭した。 平成11〜15年 薄色に抑え渋谷を中心にストリートファッションが隆盛したミレニアム。目を強調するため眉毛は薄い色に抑え、目の縁をアイラインで囲んだ。ブロンズ色の肌を演出するため日焼けしたり濃い色のファンデーションを塗ったり。原色の服や花の髪飾りなど奇抜さが際立つ。
平成16〜20年 目ぱっちり不況の不安からか安定志向や結婚願望が高まり、「モテ意識」が強まった。囲み目、マスカラの重ね付け、つけまつげなどで目を大きく見せることに集中して、眉毛への意識は薄め。リップグロスに巻き髪、フリル使いのファッションでより女性らしさを強調した。 平成21〜25年 脱力自然体東日本大震災をきっかけに、消費者は身の丈に合った消費をするようになった。化粧も力が抜けて、眉毛は太すぎず細すぎず自然体。下まぶたを立体的にする「涙袋メーク」やふんわりパーマヘアで、「癒やし系」や「大人カワイイ」が人気になった。 平成26〜30年 ナチュ太に景気が徐々に回復し、バブル期のファッションが再来。自然な毛流れを生かしつつ、明るい色で短く太めの「ナチュ太眉」が主流になった。赤い口紅など、化粧は「カワイイ」から「レディー」に。「すだれ前髪」は現代風の「シースルーバング」として新しくなった。
新元号 輝き近未来平成の終わり。SNSで誰もが自分の写真や動画を発信・共有するようになった。元号が変わる今、「○○系」といった流行のカテゴリーにとらわれない多様性の時代を迎えつつある。 多様化したトレンドの一例として、1990年代後半のメークが再ブレークする予感。太眉に代わり、毛流れがあるクールな細眉も登場しそう。目元や口元にパールを使って輝きを出し、“フューチャリスティック(近未来的)”な印象だ。90年代の化粧そのままではなく、アクセントでまつげに色を加えるなど、遊び心ある表現も出てきそうだ。 資生堂・鈴木さん気分、場面で「一人十色」平成の化粧の変遷は、資生堂が一九九〇年代初頭から行っている街頭調査の知見を基に、昨年十月に再現。平成元年生まれの一人のモデルに、年代ごとの化粧を施した。 研究チームのリーダーでトップヘアメイクアップアーティストの鈴木節子さんは「女性がキャリアを持ち経済的にも自立した。美容やファッションなど自己投資にお金と時間を費やす女性たちが増えた」と平成の傾向を表す。 平成になって、流行の中心は大学生や高校生へと変わっていった。九〇年代にギャル文化が台頭。それまでは約十年単位で流行が変化したのに対し、平成は四、五年単位と加速した。「海外に比べても日本は変化が速い。多様な化粧の表現に対する関心も高まっている」と推測する。 昔のヘアメークは、全員が同じスタイルにあこがれる『十人一色』だったのが、八〇年代から『十人十色』に多様化した。鈴木さんは「今は一人が気分や場面に合わせてさまざまなヘアメークを楽しむ『一人十色』、またそれ以上になってきた」。その傾向か最近は、一つのアイテムで頬紅にもアイシャドーにもなるような多機能型化粧品が増えているという。 「自分らしさ 表現するようになればいいな」甲南女子大・米沢准教授なぜ、日本の女性の眉毛はこれほどまでに変化するのか。化粧文化を研究する甲南女子大の米沢泉准教授は「日本人は顔の凹凸が少なく、化粧でいかようにも顔を変えられるからか、化粧好き。奈良時代はガの触角のように弧を描いた眉、平安時代は楕円(だえん)の麻呂眉など、特に眉毛にこだわる伝統がある」と説明する。 一説では、「眉毛が太いと景気が良く、細いと悪い」とも言われるが、「化粧品メーカーがはやらせている側面もある。後から関連づけているのでは」と“眉唾”の可能性を示した。 とはいえ、眉毛を含めて化粧が世相を反映しているのは間違いない。平成の初めの太眉は、社会進出が進んだ元気で強い女性像の表れと考えられている。 化粧が高校生にも広がった1990年代半ば以降。生えっぱなしの少女の眉毛と対照的に、手を加えた眉毛は大人の象徴だった。「バブルが崩壊して先行きが見えない時代。大人になるのを待てず、今楽しいことをするというコギャル精神が生まれた」。その精神が、極端な細眉や、ヘアカラーに合わせて眉も染めるようになった2000年ごろにつながると推測する。 その後安定志向から「モテメーク」がはやり、東日本大震災が起きた11年以降は、自然な化粧に合わせて眉毛も主張しすぎないように整えた。平成の終わりには、盛りすぎない目元とのバランスで自然な太さに。「写真加工アプリで目を大きくするなど、簡単に顔を変えられる」ことも背景にあると考えられる。 新元号を迎え、女性たちはどんな化粧になるのか。「これからはリアルの印象だけでなく、SNS上の自分の印象も含めて意識するようになる。でも、手本の化粧に合わせるのではなく“自分志向”。自分らしさを顔で表現するようになればいいなと思う」。周りの価値観にとらわれず、自分自身を生かせる未来の化粧に期待を込めた。 ほりいの深ほり平成元年生まれの私。卒業記念にマレーシアに旅行したとき、現地の同年代の女性から「なぜ日本人はあまり化粧をしないの?」と聞かれました。そのころはちょうど自然体な「ゆるふわ癒やし系」がはやった時期。日本と海外のメークは違うと感じたことを、取材の中で思い出しました。 お手本をまねるのではなく、何が自分らしさなのか。新元号は自分自身を見つめる時代になりそうです。 PR情報
|
|
Search | 検索