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首里城 自信と夢も焼失 30年前の再建 能登ヒバ調達 輪島の坂本さん 

「また木が必要なら協力」

(上)赤瓦が印象的な焼失前の首里城=2012年10月、那覇市で(下)かつて首里城再建のために駆け回った山中で、アテの木を見つめながら当時を振り返る坂本博さん=石川県輪島市で(関俊彦撮影)

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 10月末の火災で正殿などが焼失した首里城(那覇市)。30年ほど前、正殿の再建に協力した本紙読者で元木材業の坂本博さん(69)=石川県輪島市石休場(いしやすみば)町=が首里城への思いを語った。正殿などには能登ヒバ(アテ)も一部使われており、坂本さんは当時、木材調達のため奥能登地域を駆け回った。失われたものへの悲しみは深い。「自分にとって一番大きな仕事だった。自信と夢が一度になくなってしまったようだ」(関俊彦)

 高校卒業後、当時の石川木材商事(金沢市)に入社した坂本さんは、三十代前半に家庭の事情で故郷に戻り、同県穴水町の東製材所に転職。木材の買い付けや販売などを担当し、数年後、かつての上司から首里城再建に使う木材として能登ヒバの調達を打診された。

 「最初は見積もりだけと聞いていたけど、いつのまにか本格的に調達することになった」。最初は順調だったが、求められた木材は一般的な住居が十五軒以上建てられる三百立方メートル近く。長さ六尺(約一・八メートル)以上という希望されたアテは市場に出回る量だけでは足りず、奥能登の山林に何度も足を運んで林業家に頭を下げ続けた。

 二年ほど奥能登の山林を駆け回り、一九九二年に正殿が復元されると同僚とともに現地を訪問。調達したアテが使われた鴨居(かもい)や敷居、床板を何度も見つめた。「何度怒られたか分からないぐらい苦労したけど、喜びが込み上げてきた」

 退職し、平穏な日常を過ごしていた。十月三十一日午前四時ごろ、たまたま目を覚ましてパソコンをのぞくと、衝撃的なニュースが目に飛び込んできた。「すぐ消える、大丈夫と思い続けた」。しかし願いはむなしく、沖縄県民の、そして坂本さんの誇りは焼け落ちてしまった。

 火災から二週間余り過ぎても喪失感は変わらない。「ともに苦労をした人はほとんどこの世を去って、一緒に悲しむ人もいない。今後復元されても、苦労して木材を集めたあの首里城とは別の首里城だと思うと、協力してくれたみんなに申し訳ない」と肩を落とす。

 奥能登地方の林業は衰退の一途をたどり、今後、復元計画が具体化しても木材を再び提供できるかは分からない。それでも坂本さんは口にした。「沖縄の人の気持ちを考えたら一刻も早い復興を願いたい。その時にまた能登の木が必要と言われたら、元気でいる限り協力できることをしたい」

 

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