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画中日記

能登へ 3 鳥居家と能登下村藩

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 ×某月某日

 現在私は、東大教授・本郷和人さんが歴史学の見地から戦国武将とその周辺に迫られる、「戦国武将のROE(交戦規則)」(週刊新潮)の装画を担当させていただいている。今号で八十六回になった。当然ながら文献や資料を駆使されていて、行間からは時代小説や歴史小説では味わえない事実に基づいた新しい解釈に満ち満ちていて、何とも魅力的な連載で毎号楽しみに仕事をさせていただいている。

 その中で知った事だが、徳川秀忠に武功を高く評価され、譜代第二の大名にまでなった鳥居家がなんと能登に存在していたことを知り衝撃を受けた。それまで、私は、江戸の元禄期、能登に、鳥居家があったとは全く知らなかった。

 どうやら鳥居家は二度の不祥事から閉門・蟄居(ちっきょ)・改易等を繰り返したが、元忠以来の名家であり名誉ある家系の消滅を惜しんだ幕府の計らいで、特別に忠英(ただてる)の時代に能登国内に、一万石で「能登下村藩」を立藩させたという。ちなみにこの忠英は、とても英邁(えいまい)な人物で、後に若年寄にまで出世し下野壬生(みぶ)三万石藩主になっている。

 能登下村藩は現在の石川県七尾市田鶴浜町にあったとされ、鹿島・珠洲・鳳至・羽咋四郡のうちから一万石をもって立藩、それからわずか六年で廃藩となり、その後所領は天領となったという。

 余談だが作家平岩弓枝さんの長編歴史小説に鳥居甲斐守忠耀(ただてる)の半生を描いた『妖怪』がある。この作品は、『文芸春秋』誌上で、一九九五年十月から三十二回にわたって連載されたもので、挿絵を描かせていただいた関係から、ふと、忠耀も直系ではないにしても、能登下村藩に何らかの関係があったのではないかと探ってみたが、私のわずかばかりの資料では限界があり突き止めることができなかった。

 いずれ機会があれば本郷さんにお尋ねしたいと思っている。

 

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