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北陸文化

五輪 民族が歩み寄る道に サッカー 元日本代表監督オシムさん寄句

イビチャ・オシムさん=昨年、オーストリア南部グラーツで

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 東京五輪の開幕まであと五カ月。再び来るスポーツの祭典に、ひときわ関心を寄せる一人が、サッカー元日本代表監督のイビチャ・オシムさん(78)だ。一九六四年の東京五輪では、ユーゴスラビア代表選手として出場した。戦火にさらされた祖国で代表監督を務めた経験もある彼が、現在住むオーストリアから、本紙の企画「平和の俳句」に作品を寄せた。通訳を介した電話インタビューで、作品に込めた思いや、スポーツと平和の関わりについて聞いた。 (松崎晃子)

 オシムさんは、旧ユーゴのサラエボ生まれ。前回の東京五輪でユーゴ代表入りし、初来日した。滞在中に日本選手に街を案内してもらい、狭い空間を効率よく使う知恵に感銘を受けた。選手村では世界中の料理や文化に触れ、後に何カ国を訪れても「一番勉強になったのは日本」と思い返す。

 そんな自身の経験をふまえ、五輪を「メダルだけじゃない。人間として豊かになるよい機会」だと位置づける。だが一方で、五輪だけでなくスポーツ全般で、資金が集まるところに優秀な選手やタイトル、人々の注目が吸い取られていく商業主義が、とどまる気配はない。「メダルを取ることがお金の観点から重要になっていて、利益目当てで仕事をする人が少なくない。残念だ」と語る。

 オシムさんは、ユーゴ最後の代表監督でもある。九〇年代のユーゴスラビア紛争で、祖国が分裂したためだ。紛争前、国内で各民族のナショナリズムが色濃くなった時期にも、チームに民族間対立を持ち込ませず、実力と戦術で選手を起用した。

 ユーゴ紛争やオシムさんを長く取材し、『オシムの言葉』などの著書があるノンフィクション作家木村元彦さんは「民族が交わることで平和が生まれると、いつも言い、差別が戦争につながることを看破していた」と話す。だが努力も及ばず、やがて戦火に巻き込まれる。サラエボがユーゴ人民軍に包囲されると、死と隣り合わせにある妻子と二年以上生き別れた。

 オシムさんは、自身も目指してきたスポーツを通じた民族融和について「実はそんなに易しくない」と留保する。だがやはり、豊かな国でも貧しい国でも選手たちが同じところに集ってプレーすることが、平和をもたらすと考える。

 今、世界中が「あまりよくない方向に向かっている」ように見える。だからこそ五輪は、本来の姿である「平和への道のようなもの」になるべきだと強調する。それも「各国の人々や、さまざまな思想がたっぷりと入れる四車線の高速道路のような」幅の広い道。「人間はお互いを頼りにしないと、どうにもならない」。緊張関係に陥っても、人々が互いに歩み寄り、もう一度一緒にいられる−。夏の東京が、そんなきっかけの場になるよう願いを込める。

渋谷を題材「衝突ない」交差点に感銘

 オシムさんの「平和の俳句」の原文は、ボスニア語。題材に、人でごった返す東京・渋谷駅前のスクランブル交差点を選んだ。

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 監督として日本に滞在した二〇〇〇年代、この交差点の風景が「一種の平和の象徴」に感じられたという。目的地も歩く速さも異なる人が、縦横無尽に行き交うけれど「衝突」の気配はない。この社会の中で、考えの異なるさまざまな人間が、共存できるはずだという希望を詠み込んだ。

 ユーゴ紛争を体験したオシムさんは、平和について発言することには、極めて慎重だ。「自分から進んでいろいろ話して、注目を浴びたいと思わない人もいる」と語る。

 だが、世界情勢が揺らぐ中、「他人を受け入れ、信頼することこそが、問題を乗り越える保証になる。平和というのは重要なもので、常に目指すべきものだ」との考えから、ささやかな言葉で思いを伝える平和の俳句の企画に賛同した。

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 写真と邦訳は、セルビア在住の翻訳者ドラガナ・シュピッツァさん。

【平和の俳句】 戦後70年の節目にあわせ、2015年から3年間、平和の尊さを感じさせる句を読者から募り、本紙朝刊1面で毎日掲載した。選者は、俳人の金子兜太さん(18年死去)、黒田杏子さん、作家のいとうせいこうさん。投稿総数は13万句を超す。

 

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