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北陸文化

【寄稿】 勝井隆則 一人版元に思い出数々

和田誠さんのリンゴ、池内紀さんのファクス

 今年、イラストレーターの和田誠さんと、独文学者でエッセイストの池内紀(おさむ)さんが亡くなられた。お二人には、それぞれ亀鳴屋の本に関わっていただいたことがある。

   和田誠さん

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 一人で出版を始めて間もなく、伊藤人誉(ひとよ)の『幻の猫』という短編集を出した。あとがきをお願いしたのが和田誠さん。作品はいわば怪異譚(たん)や幻想譚。もう大の和田ファンなので、この手の怖い話が好きなのは先刻承知。もちろん何のツテもなかったが、思い切って手紙を書いた。ほどなく、「まず一篇(ぺん)読み、好きだったのでやります」とうれしい返事が来て、「幻談の気配」という、忘れられていた小説家の面白さを伝える素敵(すてき)な一文をいただいた。

 本が出た年の暮れ、金沢のもっきりやで、和田さんが映画の話をし、それにまつわる曲をピアニストの佐山雅弘さん(佐山さんも昨年十一月に亡くなってしまった)が演奏するイベントがあった。こっそり原稿のお礼に行こうかと思ったが、やめた。何せ極度のあがり症で、あの和田さんに、と考えただけで胸が早鐘を打つ。でも、一言お礼は言いたい。イベントはちょうどクリスマスイブのイブ。前宣伝でジミー・ヴァン・ヒューゼンの曲もやるとあったのをみて、ひらめいた。きっと彼が曲を手がけた映画「ポケット一杯の幸福」の話が出るにちがいない。リンゴ売りの貧しい老婦人が主人公のクリスマスの定番映画だから、リンゴを一かご、その旨一筆添えて、差し入れることにした。これで話も演奏もなかったら、間の抜けたことになるが、どうも話も曲もなかったらしい。果たして和田さんにリンゴの気持ちが伝わったかは定かでない。

和田誠さんの原稿(右上)と池内紀さんからのファクス

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 その後、『岡本喜八お流れシナリオ集』をつくった時に、映画の本なら絶対和田さんにと、装丁をお願いした。電話で何度かお話したが、リンゴのことは、ついぞ聞けなかった。

  ◎   ◎   ◎

 池内さんには、亀鳴屋が最初の本を出した時、どこで知ったか、道楽の延長のようなことをやってる版元がある、と新聞に書かれたことがあった。

   池内紀さん

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 仕事をお願いしたのは、それから十年あまりたってからである。若い頃、松井邦雄という大好きな書き手がいた。退廃の香漂う絢爛(けんらん)美文の嘆き節にすっかり酔わされ、その酔いを引きずって、とうとう松井邦雄の本をこしらえようと思い立った。その松井邦雄と親しかったのが池内さんだった。いっそ、池内さんに編集を頼もう。道楽の延長の版元と名のって手紙を書いた。返事は「喜んでお手伝いする」。だが、それからが長かった。

 電話が鳴って出ると、「あっ」という声がしてファクスに切り替わる。これが池内さんの常。絶対、電話には出られない。毎回、身辺の状況や、編集作業や原稿が遅れる理由が書かれてあって、その後も同様。電話をとると、「あっ」、の声、それから作業遅延のファクス。言い訳に合わせて、犬、空飛ぶ人、自分の顔、鳥、芋虫、羊、よくわからない虫、必ず何か絵が添えられているので、こちらも亀の絵とか犬とか、キリンの首で待ってますと、キリンの絵とか、返事のファクスを送っていた。結局、池内さんとはただの一度もお話することがないまま、二年かかって万事落着。松井邦雄の『ル・アーヴルの波止場で』は陽(ひ)の目を見たのだった。

 誰も知らないような零細版元の本の列に、和田さんも池内さんも、普通に紛れ込んでいただき、ただただありがたく思っている。

 (かつい・たかのり=金沢市の一人版元「亀鳴屋」主人)

     ◇    ◇    ◇

 和田誠さんは十月七日、死去。八十三歳だった。池内紀さんは八月三十日に七十八歳で死去した。(手紙の言葉は原文通り)  

 

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