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北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(52)土壁のおもいで  

「再会」

写真

手触りや色の変化不思議

 遊びにおいで、と誘われて、たずねたお家は、土蔵の二階を子供の遊び場にしてあった。ピカピカの板張りの床に、すべり台も置いてある。ここならうんと大きな声をあげて遊べるぞ、と思いきや、土蔵の壁は、外界の音を遮断して、静寂を保っている。私を寄せたくないようだった。遊ぶ気持ちも失(う)せて、すベリ台に触れることすらせずに帰った覚えがある。廓(くるわ)で土蔵を遊び場に使う家をあの日、初めて知った。久しぶりに、廓と私は書いた。私の子供の時分は、誰もここをひがし茶屋街と言わなかったのである。

 廓から大通りに出る途中のお寺にも土蔵があった。木町にも、観音町にも。土蔵一棟塗ることができて左官職人は一人前と認められる。職人たちはさらに腕を磨きつつ、さまざまな技法を、後の時代に伝えることも忘れなかった。金沢城の石川門のなまこ壁は見事だ。そして、金沢の昭和の初め頃の建築物には、なんともユニークなものがある。

 「ジャバラ、ジャバラ」と私は呼んでいた。外壁に蛇腹のデザインが施してあり、丸窓と組み合わさって、アール・デコ風でもある。ふくらんで、きゅっとしぼんで、ちょいと出っ張って…。この蛇腹の動きのリズムは変則的だ。尾張町の老舗の商店を前にして、私は壁に指をすべらせ、なぞりながら、当時の金沢人の目に、この建物がどう映ったかと考えたりしていた。

 十代の半ばに寝起きした部屋は土の壁だった。色の付いた壁である。暮らしのいちばんそばに左官の仕事があった。夜の明かりで鮮やかな若草色の壁は、朝、障子が開いて陽(ひ)が射(さ)すと、鶯(うぐいす)に、柳に苔(こけ)色と、時間の経過とともに変わっていく。不思議だった。触れると真夏はひんやりと冷たい、凍える冬の夜は、ふわっとあったかい。これもまた不思議だった。祖母と過ごした部屋の花色の壁も、青みが微妙に変化した。広間と呼んだ部屋も、そう。あすこの長押(なげし)の釘隠(くぎかくし)の意匠は何だったかな? 広間へ続く廊下のこちらの扉を開けると、蓄音機、あちらを開けるといくつも手焙(てあぶ)りや竹の籠花入れが並んでいた。出番を失ったこれらの道具に新しい気や光を送ってやると、皆、ピチッピチッと生気を還(かえ)すのだった。部屋の四隅に、うっすらと色が散る朝もあった。壁の向こう側の仕業、ゆうべの宴はパラパラと、我(わ)が家の壁を落とすほどの騒ぎだった。それから、どこかの壁の向こうでは座敷に上がらない客と女将(おかみ)の、長火鉢をはさんだ長い長い語らいもあった。話の中身は何も聞こえない、声の気配だけをいつも感じた。これも土壁の不思議なところだ。

 かつての宴を朱の広間にしつらえて、華やいだ芸者衆を配してみよう。おきまりの「ながいこって」を口々に、壁にも増して不思議な、冷たくてあたたかい、お姐(ねえ)さん方のおでまし。色街の色壁に、芸者の色香、色音。夜毎(よごと)、色の魔術を繰りひろげたひがしの郭を、色街と呼ぶ人もいなくなって久しい。

 (まえだ・まり=イラストレーター・画家、金沢市出身)

 

  ※次回は十二月七日

 

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