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北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(51) 橋場町から小路へ 

そびえる看板、橋めぐり

「小さな橋」

写真

 建物の正面に大きく書かれた「写真」の文字は旧字体だった。主計町(かずえまち)の入り口の写真館である。その先のビルは、上にコーラにチョコレートと、ふたつも看板をのっけていた。一階は和菓子屋で、甘いものづくし。こちら側には金沢の名酒の名があり、これは左党向きだ。電線のすきまをくぐって天高くそびえていたのは、銀行の看板だった。

 浅野川大橋を渡ると、いつも目に入ってきた看板たちだ。色や文字のデザインに同じものがなくて、面白かった。浅野川大橋が改修されて、今はほとんど残っていない四十年も前の橋場町界隈(かいわい)の景色なのに、その位置も確かなのは、ここが通学路でもあったから。私は小将町中学に通っていた。看板だけじゃない、この辺の店も覚えている。瀬戸物屋や肉屋、本屋に金物屋があって、花屋の横の階段を下りると喫茶店があった。三差路の要の洋館は銀行だ。寿司(すし)屋と麻雀(まーじゃん)荘があり、ゲームセンターもできた。

 パチンコ屋は、私がちいちゃな時分には三軒もあった。橋のそばの店は、ホースを使ってしじゅう店の周りに水をまいていた。通行人にかからぬよう慣れた手つきで。そして自動扉が開くたび、玉の音と音楽と店内アナウンスが一斉に拡散する。あの音は、凄(すさ)まじかった。だから、私はときどき、手前でひょいと曲がって小路に入ったりしたのだ。小路の時計屋のウインドーの先には浅野川大橋よりうんと小さな、ぼーっとしていたら気づかないまま過ぎてしまいそうな橋が架かっている。私は金沢の水の流れとここでも会えた。覗(のぞ)くと浅野川に続いているのがわかった。

 私の暮らした、ひがしの花街のなかにも流れていたけれど、ずっしりと鉄の長い蓋(ふた)で閉じられていて見ることはできなかった。でも、蓋の上に立ち、耳を澄ませば、音だけは聞こえる。傍らのお茶屋のなかを通って、花街の広見へ水は流れてゆく。広見の隅にあった細長いコンクリートの盛り上がったところが目印だった。そこには蔵があった。

 橋場町の小路の橋には、小鳥屋橋と名があった。上流へ流れを辿(たど)って歩いていくと、人見橋、下土橋と、どの橋にも名が記されていた。江戸の頃、この総構堀は城郭の防衛線のために造られたことを知った。橋の名の由来やそれぞれの橋に番人を置いたことも。橋めぐりが時に、建物や鉢植え観察となった。漂う街の匂いに、私の鼻はどこかのお家の夕飯の献立推理もはじめていた。さっきまで木犀(もくせい)の香りに酔っていたのに。ここは大人になっても私のお気に入りの小路だった。

 そしてある日、和洋折衷の旧いお家の二階の窓に、私は小鳥をみつけた。ステンドグラスのなかに描かれた鳥は、瑠璃色の美しい翼を持っていて、今にも飛んできそうな、そんな気がしたのだ。

 小路でりんごを買ったあの店で、今度は「秋星」を求めよう。秋声さんにちなんだこのりんごは甘くて、すっぱいそうである。 (まえだ・まり=イラストレーター・画家、金沢・東山生まれ)

  ※次回は11月2日に掲載します。

 

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