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北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(50) 竪町の「砂場」  

よみがえる戸の音

「蕎麦屋の佇まい」

写真

 この戸は、どんな音を立てていたかな、と描いた蕎麦(そば)屋の絵を前にして、思ってみたりする。ガラガラガラ、ではなかった。ガランゴロンゴロン、これは違う。桟の少ない戸は、開け閉めする際に、ガラスが揺れていい音色を立てるのである。ぴったりの擬音が探せなくて、もどかしい。私の耳の奥では、さっきから繰り返し戸の音が再生されているというのに。

 久しぶりに読み返した本から、パラっと小さな紙片が現れて、写っていたのがこの蕎麦屋だった。紙片は正確に書けばモノクロフィルムを印画紙に焼き付けたもので、そのなかの一コマ、麻雀牌(マージャンパイ)の倍くらいの大きさである。ルーペで覗(のぞ)いてみると、たしかになつかしい蕎麦屋の建物がそこにあり、さらに目を凝らせば、小屋根にのった看板に、わずかに砂場と店名が浮かんで読み取れた。くるりと紙片を返せば、そこに私の文字で、竪町通り入口「砂場」と、あった。

 二十一、二歳の頃だろう。カメラを片手に金沢の街をうろついた。近いうちに金沢を離れることを決めていたから、気に入った風景なり、店なりをカメラに収めていたのだ。それにしても、たった一コマだけとは。前にも後にも他にもたくさんあったはず、そして肝心のフィルムの行方は不明である。

 竪町通りの砂場の手前にはハンバーガーショップができていた。砂場の向かいのビルの地下にはコロニアル風の広いカフェバーがあり、上の階にはディスコもあった。スーパーマーケットの先の角地にはぎっしりとテナントの入ったファッションビルが建っていた。路面には洒落(しゃれ)たキッチン用品に、靴の店が続く。ジャンル分けされたレコード店に、オーディオの専門店まであった。高価な世界の一流ブランドを揃(そろ)えた店が華やいでみえた。

 一九八〇年代半ばの金沢の繁華街には、この通りのように、これまでの新しいだけじゃない、個人の嗜好(しこう)に向けたモノがあふれていたのである。お気に入りのモノとの出会いを求めて、人は街に繰り出す。そして次々とタウン誌に紹介される店を巡っての飲み食いも忘れなかった。

 そんな竪町通りに、砂場はあった。旧い建物ならではの落ち着きを放ちながら。この落ち着きには、町場の蕎麦屋らしい、粋、というより、小気味好(よ)い、奇をてらわないこざっぱりした感があった、品書きに、器に、店の装飾に。買い物や映画等の行きしな帰りしなに、ちょいと蕎麦でも、と、ふらりと入る店だったのである。

 砂場は二〇〇二年の七月に店を閉じた。八十年余りの商いの地に、面影すら今は感じることができなくなった。あの看板だけが、旧美大の赤レンガ、石川県立歴史博物館の所蔵である。

 ルーペを覗きながら、私は砂場を描いてみた。記憶だけが頼りの色も、のせて。爽やかな夏の頃の蕎麦屋の佇(たたず)まいである。私は、私ごのみの優しい肩をしたおんなになって、砂場の暖簾(のれん)をくぐる。戸の音が小気味好い。 (まえだ・まり=イラストレーター、画家、金沢・東山生まれ)

 ※次回は10月5日掲載。

 

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