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北陸文化

【コミュニティシネマ 街中銀幕から】 大いなる時間の中の今

「よあけの焚き火」の1シーン(C)桜映画社

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 昨年でシネモンドが開館して二十周年を迎えることができたが、それから二十年という時間の意味をよく考える。自分が二十歳の時、二十年前の映画は大昔の映画だと思っていた。一九七五年生まれなので、映画は『ジョーズ』、音楽なら松任谷由実の「ルージュの伝言」の年だ。

 今から二十年ほど前というと、映画なら『マトリックス』、音楽だったら宇多田ヒカルのデビュー。過ぎてしまえばあっという間だが、『マトリックス』はもっと最近の映画だったように感じる。今二十歳の若者たちは、『マトリックス』も宇多田ヒカルも、僕が二十歳の頃に『ジョーズ』や松任谷由実に感じたのと同じような時代感覚を持つのだろうか−。

 さて、狂言という伝統芸能をモチーフに、個人の時間を超えた大いなる時間の流れのなかで、受け継ぐこと、伝えることについて描いた『よあけの焚(た)き火』という作品がある。

 六百五十年の伝統を持つ狂言方の家に生まれた大蔵基誠(もとなり)は、十歳になる息子の康誠を連れて、自らの少年時代に父や兄と訪れていた山の稽古場へと訪れる。稽古場の掃除から普段より厳しく接してくる父に戸惑う康誠。しかし、基誠も自分のやり方にどこかもどかしさを感じていた。ある日、二人のもとに災害で両親を亡くし、祖父のもとに身を寄せている少女・咲子がやってくる。咲子は自分より幼い康誠が懸命に稽古する光景に目を奪われる。

 親子を演じるのは、実際に能楽師狂言方大蔵流の二十五世宗家大蔵弥右衛門の次男と孫にあたる。長野県蓼科の大自然の中で、現実とフィクションが交差する。家族の歴史を背負った康誠と、家族を失った咲子の交流を通し、連綿と続いてきた狂言の伝統世界に生きる人々、現在に至るまで存在し続けてきた大自然や過去から脈々と続いてきた現在、そしてその先にあるものが、観客のそれぞれの心の中に映し出されていく。

 シネモンドで二十四日から三十日まで上映。二十四日は土井康一監督の舞台あいさつがある。(シネモンド支配人・上野克)

 

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