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北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(49) 八月のおもいで 

「昭和四十一年の夏」

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 八月になると思い出すのは、観音院の四万六千日だ。今年は、八月九日だそうで、旧町名が復活し、案内の貼り出しにも、東山一丁目から、観音町観音院と記された。

 以前、「街の記憶26」で、私は四万六千日の祈願のとうきびを、家の玄関先に吊(つ)るして絵にしたが、今思うと、私の暮らした時分は、とうきびは、玄関戸をくぐった内の高い所に、あった。時折、見上げて、最初の頃のみずみずしい外皮の変化したさまに気づいたり、やがて、風に揺れてカサカサっと小さい音をたてるのも、耳にした。家内安全や商売繁盛、様々の願いの詰まった門守(かどもり)のとうきびは、外に向けてというよりも、内々の信心のひとつだった。今日の、東山界隈(かいわい)でよく目にするようになったそれらには、街を訪れる人たちへ紹介する役目も加わったのだろうか。あれほどあちこちにぶら下がっていると、古い街並みの演出に欠かせない小道具のように、私には見えるときがある。

 「海の風にあたると風邪をひかない、丈夫な体になる」と、この季節に言った祖母の言葉も思い出した。「熱い砂浜を裸足(はだし)で歩くと水虫が治る」と言ったのは、父である。どちらも念仏みたいに毎年繰り返し言っていたから、効果が出るまで、時間がかかるらしい。彼らだけでなく、たくさんの大人が言っていたようだ。

砂浜の看板とカラーテレビ

 なぎさ、入船、はまやにアカシア…海の浜茶屋にはこんな名が似合っていた。砂浜には、ずぼっずぼっと大きな柱が立って、銀行やスーパーの名が書いてある。ユニカラーのカラーテレビって、なにだろう? そして、夢を買いましょう、は宝くじの広告だった。たくさんの人が集まるところに打ってこそ宣伝効果がある。昭和四十年代の内灘海水浴場は、まさに芋のこを洗う状態だったのだ。海に泳ぎに来たというのに、浜辺には子供のための浅いプールもこしらえてあった。さらにその周りを竹の柵で囲って、ここで遊べば安心らしい。波を怖がったり、親とはぐれて泣きじゃくる子も大勢いたから。

 例の念仏より、カラーテレビの宣伝は即効だった。泳ぎながら、海の風にあたりながら、熱い砂浜を歩きながら、頭のなかにカラーテレビを浮かべていたひとも多かったよう。ぐんと売れたそうだ。少しして、なんと我(わ)が家にもカラーテレビがやってきた。コスミックなデザインの白黒テレビと違い、小箪笥(だんす)のような、あのころ流行(はや)った家具調のものである。

 海水浴に行った夜は、体が熱くてなかなか寝付けなかった。洗いたての敷布が焼けた肌に触れて痛い。耳に指を突っ込むとちょっぴりざらざらする。茅葺(かやぶ)き風な屋根のてっぺんから煙がたなびいているのが寝床から見えた。蚊遣(かや)り器は素焼きの水車小屋、今も金沢の家にあるかな。ひなびた風情があって、しばらくの間、見飽きることがなかった。 (まえだ・まり=イラストレーター・画家、金沢・東山生まれ)※次回は九月七日

 

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