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北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(48) 競馬場のこと 

「パドックで」

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開催日に花火がドーン

 ひょんなことから東京の今の住まいのすぐそばに、明治の頃、競馬場があったと知った。当時のことを話してくれるひとがいないものかと、近所の商いを長く続けていそうな店に入り尋ねてみたが「へぇー、初めて聞いたよ」の声ばかり。明治十二(一八七九)年から六年ほどあった競馬場は、鹿鳴館と同じく、欧米の慣習等を模した政策のひとつで、当初は上流階級の社交場だった。

 このところ競馬場のことが気になり調べていると、岩川隆の『競馬ひとり旅』に、正午にドーンの金沢競馬、とあった。競馬場行きのバスに乗り合わせた金沢の年配ファンが話している。ドーンは花火、開催日に打ち上げられたそう。現在の八田町ではなく、入江に競馬場があった時代だ。

 私の金沢の記憶の、競馬に関したことにはあまりよいものがない。どこのだれそれが競馬場に行っている、と、大人たちの声音には、いつも軽蔑がたっぷりと含んであった。祖母の近くで競馬の話をちょっとでもしようものなら「おうまさんのお尻を叩(たた)くとは、なにごとぞ」と、ピシャリ。明治三十九年生まれ、丙午(ひのえうま)の女の声の鞭(むち)が入る。怖かった。

 競馬場が日本各地につくられ、庶民も出入りできるようになると、短い時間で勝負の決まる競馬に、ひとつ当てたいとなけなしの金をはたく者、さらに儲(もう)けたいと大金をつぎ込む者もでて、そこにつけ込み悪事を働く輩(やから)も現れる。特に、金沢の競馬場の成り立ちをずっと見てきた祖母の世代の金沢人に、競馬を嫌ったひとが少なくなかった。

 金沢競馬場は上京してから二度行った。二十年くらい前だろう。想像以上の立派なスタンドに対して、ちっこいパドックと出走馬掲示所がレトロな雰囲気を放っていた。馬たちは手入れの行き届いた美しい馬場を駆けていったが、客の入りの悪い競馬場は寂しく見えた。

 大人になり金沢を離れてから、私は競馬に興味を持った。競走馬の血統が気になり、レースが観(み)たくなり、厩舎(きゅうしゃ)を訪ねたくなり、アメリカやヨーロッパへ競馬が主の取材旅もした。どこが入り口なのかわからなかったり、金沢競馬場の足元にも及ばない貧弱なスタンドも多いのだ、歴史ある競馬場でも。双眼鏡をのぞく姿が板についてるチビッコファンもいるし、犬を連れた人も大勢来ている。馬との距離もうんと近いのである。

 競走馬の生まれや育ち、性格、過去の成績等を知れば識(し)るほど、馬券が勝馬投票券であることを忘れる時があり、馬券を買う行為が遠のく時もあるようだ。ひらめきやこじつけで的中する時もあるようだ。皮肉なことだ。

 さて、今回の絵は馬が主役、猫はどこにいるかな? そして、サラブレッドを描いた一冊を記しておこう。少年少女のために書かれたものだ。金沢の子供たちに、大人にも読んでほしい。マーゲライト・ヘンリーの『名馬風の王』は私の大切な物語である。もちろん猫もりっぱに脇を固めている。 (まえだ・まり=イラストレーター、画家、金沢・東山生まれ)

 ※次回は8月3日掲載

 

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