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北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(47) きいた、みえたこと 

「梅の橋の恋人たち」

写真

梅の橋 百年前の姿は

 「ぢぶき」は、子供の時分に、耳で聞いた言葉で、字をかくと、「地拭き」でよいのだろうか。鏡花さんの随筆でみつけたとき、祖母の「ぢぶき」と言う甲高い声とともに、なつかしく思い出した。ぢぶきは、雑巾のこと。今日とんと聞けなくなった、金沢の言葉である。雑巾と書いたら、バケツの縁にべろんとドブネズミがお辞儀をしてみえた。掃除のあとは、チクチクとトゲが突き出し、ハリネズミに化けたりもする、学校のぢぶきだ。

 明治三年創立の、モダン建築と呼ばれた馬場小学校の教室はささくれ立った木の床だった。さて、我(わ)が家のぢぶきは白うさぎ、と書くと聞こえがいいが、腰巻き等の末で、これはから拭き用である。手荒れを気にする芸者屋の名残か、外回りの掃除に水は使うが、内は毎日から拭きだ。廊下も柱も階段も、障子の桟まで。汚れる前に木肌に沿って磨いて、艶を保つのが掃除だった。

 耳で聞いた言葉には、ややこしいものもあった。向田邦子はエッセーに、仏へ供える供物(ぶく)を、「おぼくさん」と間違えて言っていた、と書いている。これを読んで私ははずかしくなった。おぼくさんならまだいい。私は「おぼけさん」だ。ぶくをぼけとは、こりゃ、だちゃかん。

 浅野川に梅の橋が架かった頃、唄を聞いた。「きーみとであーったこーりんぼーの」。昼間から酒が入っていたのか男は上機嫌で、天神橋の方へ向かって声を張り上げて「ひゃーくねんまえとおーんなじよるが」と、唄ったのである。北島三郎の『加賀の女』は、三年前ではなかったか。

 梅の橋は車は通らない。観光客のそぞろ歩きも今ほどない頃の、静かな橋だった。記憶のなかの梅の橋で、私も唄おうか。百万石まつりにちなんで「ソレ、いらっしみまっしよるまっし」と『百万石ぶし』からいくかいね。「おゆるっしゅおゆるっしゅ」「あいそんないあいそんない」は『加賀ばやし』。節がつくと金沢ことばのおかしみが、ぐんと増す。『百万石音頭』は、銭屋五兵衛のでてくる三題目が私のお気に入り。どれも聞いて覚えた唄ばかりだ。行列の馬上に、利家に扮(ふん)したS先生がみえる。街のひとが殿さんになった。馬が好きで、乗馬も難なくこなす先生はお医者さんである。

 梅の橋からの眺めは昔と変わらない。河原に『義血侠血』の滝の白糸と欣弥がみえようか。ダンスホールにミラーボールがきらめいてみえぬか。天神橋から卯辰山へ、ケーブルカーが得意げに走ってみえまいか。祖母の親しいあのひとの、この企ては、夢香山に幻と消えたり。

 「ひゃくねんまえ」と唄った男にもみえたか。梅の橋は磁界となり、むかしむかしの街の面影の、こんなかけらをひとつ、またひとつと引き寄せた。 (まえだ・まり=イラストレーター・画家、金沢・東山生まれ)

 ※次回は7月6日掲載

 

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