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北陸文化

【書籍】「百万石」のルーツ問う

 金沢を語る時には必ずといっていいほどつく「加賀百万石」という枕詞(まくらことば)。観光や県のイメージキャラクター、コメの地元ブランドにも及ぶ、そのイメージの根拠を問い直そうという二冊の本が出版された。石川県金沢城調査研究所所員の大西泰正さんは「前田利家・利長 創られた『加賀百万石』伝説」(平凡社)で、利家、利長を「藩祖」「二代藩主」とする権威づけから離れて、藩の成立までの実相を明らかにしようとする。一方、近代史が専門の金沢星稜大の本康宏史教授は「百万石ブランドの源流 モダンから見た伝統文化」(能登印刷出版部)で、明治維新によって崩壊した加賀藩の「百万石」のイメージは、明治期以降に「再生産」されて現在に至っていると指摘する。(松岡等)

大西泰正さん 通説より実相を

前田利家・利長 創られた「加賀百万石」伝説

(上)「他藩などに残る文書とも照らし合わせることが重要」と話す大西泰正・石川県金沢城調査研究所所員=金沢市尾山町で(下)出版された「前田利家・利長 創られた『加賀百万石』伝説」(平凡社)

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 大西さんは本の中で、豊臣秀吉が利家に「羽柴筑前守」を名乗ることを許した書状といわれる写しが利家・利長の権威づけのために書き換えられていった「偽作」と主張。また、利長に家督を与えることなどを指示した正室・芳春院(まつ)の聞き書きとされる利家の遺言状も、数種類ある写しの分析から、利家側近が残した文書を元に作られたものだとする。

 では、利家が秀吉に大名として取り立てられ、利長の時代に加賀、能登、越中の三国を領国にするまでの間のこうした文書が、これまで検証されてこなかったのはなぜか。

 大西さんは、豊臣の「大老」としてではなく藩政期の統治の視点から捉えようとしてきた▽幕藩体制下で藩にとって有害な史料は処分された可能性がある▽明治期に編さんされた史料が無批判に継承されている−とし、利家を「藩祖」として顕彰、神格化してきたことが、史実をゆがめる要因と指摘する。

 大西さんはもともと織豊時代の政治史が専門。関ケ原の戦いに敗れ、八丈島に流された宇喜多秀家の研究を論集「加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類」(桂書房)としてまとめた。宇喜多家と関係の深い加賀藩の文書を読み込む中で、利家、利長にまつわる通説に疑問をもった。

 「同じ豊臣の五大老の毛利など、他の大名について行われているような検証がなされていない」。利家と結びつけられて語られることの多い「百万石」のイメージ。「石川の中だけで偉人として持ち上げても仕方がない。史実を押さえ、違うことは違うと、はっきり言うことは必要」と話す。

本康宏史さん 近代史隠さずに

百万石ブランドの源流 モダンから見た伝統文化

(上)「百万石のイメージは明治に『再生産』されたもの」と話す本康宏史・金沢星稜大教授=金沢市小坂町で(下)出版された「百万石ブランドの源流 モダンから見た伝統文化」(能登印刷出版部)

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 一方、本康さんは、明治維新後の近代化とともにかたちづくられていった百万石のイメージをさまざまな角度から紹介し、「軍都」「学都」として移り変わっていく金沢の都市形成を通して分析した。「『百万石』の実態が加賀藩政の終焉(しゅうえん)とともに崩壊したのちに、さまざまな戦略によって『再生産』されてきたものといえる」とする。

 維新直後は東京、大阪、京都に次いで名古屋と並ぶほどの人口のあった金沢は士族の没落などから一時、衰退する。その「旧藩」アイデンティティー喪失から回復するテコになったのが、皇室とつながる前田家の侯爵家の誕生であり、利家をまつりながらも伝統的な様式ではなく北陸初の避雷針やステンドグラスを取り入れた神門を備えた尾山神社の創建などだった。

 衰退しつつあった金沢が活気を取り戻したのは金沢城に第九師団が入ったことが大きく影響した。茶屋街もかつては軍とともにあった遊郭であり、同書ではその変遷もたどる。

 「百万石」の象徴の一つでもある兼六園は文明開化の時代の要請から都市公園となり、一時は洋館があったり、博物館や学校が置かれた時期もあった。明治天皇の行啓を契機に「日本三名園」の「俗説」も生まれた。

 教育では、加賀藩の藩校の流れをくみながら、全国で五校しかないいわゆるナンバースクールの「四高」が熱心な誘致運動によって金沢に置かれ、やがて多くの人材を輩出していく。

 本康さんは同書執筆の動機に「加賀藩の歴史に比べて明治維新以降の近代史の研究が少ないこと」を挙げた。本の中では、戦争遺跡と絡めた「負の遺産」をめぐるダークツーリズムや、戦災を逃れたために数多く残るレンガや石造りの近代建造物を資源として生かすことも提案する。

 「今は『百万石』という言葉が出過ぎて、短絡的に江戸時代の金沢を現代に結びつけて語られている印象が強い。百万石のブランドを観光の面などで生かすとしても、そのことで近代の歴史が隠されてしまってはいけない」と話した。

 

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