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北陸文化

【忘れないためにつくり続ける 山本基】[1]生い立ち

回り道して創作活動へ

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 私は家事と子育てに追われる五十三歳のシングルファーザー、職業は美術家だ。二年前に妻を乳がんで亡くし、今は小学校二年生の娘と二人暮らし。日本海まで見渡せる金沢市内の高台に、猫二匹と一緒に住んでいる。長年「大切な人との思い出を忘れないため」に制作してきた。その多くは塩で床に巨大な模様を描く作品だ。大きなものでは畳百枚くらいの面積を、ひとり床に座り、長い時間を掛けて完成させる。絵や彫刻のように残るものではなく、展示期間だけこの世に存在するインスタレーションというジャンルで、私はこの儚(はかな)い表現を四半世紀近く続けてきた。これまでに金沢21世紀美術館をはじめ、国内外で百回を超える展覧会に参加している。

 私は妻だけでなく妹も病で亡くしているのだが、治療や終末期にまつわる彼女たちの決断に接した経験は、私の制作を支え続けている。

「迷宮」(2012年、BellevueArtsMuseum)

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 一九六六(昭和四十一)年、広島県東部の港町・尾道で生まれ、温かく涙もろい母と、職人肌で手先の器用な父に育てられた。二人は祖父の代の自転車店を継ぎ、今も小さなバイク屋を営んでいる。

 両親から「何かをしなさい」と言われたことはない。自分で決めて責任を負う。宿題をするしないも本人次第。結果として廊下に立たされるのは仕方ないという考えの親だった。

 描くことやものづくりが好きな私は、授業時間内で完成させられなかった課題を深夜まで掛けて仕上げていた。興味のあることは思いっきりやる、嫌いなことは見向きもしない性格だった。

 少年時代に最も影響を受けたのは中学校で担任だったY先生だ。毎日、ガリ版プリントを配り、言葉を尽くし語りかけてくれた。人として生きるため、命と向き合うためのエッセンスが綴(つづ)られていた。終業式の日にプリントを集めて製本すると、厚さ四センチの本が出来上がり、そのドッシリとした重さに心を揺さぶられた。一流の仕事は積み重ねでしか成し遂げられないことを学んだ。

 先生は私に創作活動の道も薦めてくれたが、勇気がなく断念。両親の店を継ぐつもりで工業高校の機械科に進学した。ただ、卒業後すぐに親と働くのもどうかと思い、社会勉強のつもりで地元の造船所に就職。円高不況を機に希望退職し、山登りをしながら放浪した時に、ようやく好きな道を目指そうと決意した。

 車のボンネットを作る会社で二交代勤務して進学資金を貯(た)め、金沢美術工芸大学に入学したのは二十五歳の時だった。(やまもと・もとい=金沢市在住)

 ※中国新聞に掲載した同名のエッセーを加筆・修正し、計4回掲載します。

 

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