見どころ

定型をやぶる

横長の大画面を効果的に使う画面作りは、国芳が得意とするところでした。この作品は力自慢の武蔵坊弁慶《むさしぼうべんけい》が鐘を引き上げる伝説を描いています。ワイド画面いっぱいに巨大な鐘を描いていますが、それによって弁慶の怪力ぶりが際立ちます。

歌川国芳「弁慶が勇力戯に三井寺の梵鐘を叡山へ引揚る図」部分 弘化2~3年(1845~46)頃 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
歌川国芳「弁慶が勇力戯に三井寺の梵鐘を叡山へ引揚る図」部分
弘化2~3年(1845~46)頃 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)

怖いもの見たさ

血みどろ絵の代表作「英名二十八衆句《えいめいにじゅうはっしゅく》」は国芳の弟子である芳幾《よしいく》と芳年《よしとし》の競作。芝居などの殺害場面がテーマなので、思わず、うわっと目をそむけたくなるような絵もあります。
幕末には、小説、歌舞伎や講談、見世物などで残虐な表現が好まれました。人々がより強い刺激を求めていった結果でしょう。怖いものみたさの性《さが》は、今も変わりませんね。その上で、描かれている場面のストーリーを含め、じっくりご覧いただくと「英名二十八衆句」が実にこだわって作られていること、そして残虐表現は、あくまでもお話のなかの「悲劇」を盛り上げるための演出だということが分かります。

月岡芳年「英名二十八衆句 団七九郎兵衛」部分 慶応2年(1866) 名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)
血の色に膠《にかわ》を混ぜることで
血糊《ちのり》を表現しています。

月岡芳年「英名二十八衆句 団七九郎兵衛」部分 慶応2年(1866) 名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)

こだわりの技-隠された雨

「英名二十八衆句」の一図です。歌舞伎の一場面、金を奪うために義理の弟を殺害する極悪人の邑井長庵《むらいちょうあん》を描いています。画面をつらぬく雷の表現が印象的な絵ですが、実はここには「雨」が隠されています。

落合芳幾「英名二十八衆句 邑井長庵」部分 慶応3年(1867) 名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)
落合芳幾「英名二十八衆句 邑井長庵」部分 慶応3年(1867) 名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)
作品を少し斜めから見てみると…。
落合芳幾「英名二十八衆句 邑井長庵」部分 慶応3年(1867) 名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)

「正面摺《しょうめんずり》」という技法を使って、色ではなく紙の光沢だけで、雨を表現しているのです。

実際の舞台では(音響だけなので)見えないけれども雨が降っている場面です。描いたのは、国芳の弟子、芳幾《よしいく》。芝居狂《しばいぐるい》だったという彼らしい仕掛けで、物語の世界観が表現されています。

面白いには裏がある

国芳の絵のなかには、裏の意味を含んだ風刺画《ふうしが》として話題となったものがあります。こちらは、天保の改革で憂き目をみた人々を表している、と噂になった妖怪たちです。風刺の内容については、当時から諸説あり、どこまでが国芳の意図だったか分かりません。ここでは描かれている妖怪たちに注目してみましょう。裏の意味を皆が憶測したくなる、そんな絵にこそ、国芳の奇想《きそう》が光ります。

歌川国芳「源頼光公館土蜘作妖怪図」部分 天保13~14年(1842~43) 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
歌川国芳「源頼光公館土蜘作妖怪図」部分 天保13~14年(1842~43) 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)

国芳の観察力

吉原遊郭《よしわらゆうかく》が別の場所で営業していることを告知する浮世絵です。当時は遊女を描くことが禁止されていたため、花魁《おいらん》も冷やかし客もすべて擬人化《ぎじんか》された雀で描かれています。みんな同じような雀顔なのに、どんなおしゃべりをしているかまで想像できそうです。国芳はちょっとした手の動き、顔の角度、くちばしの開け方で表情をつけているのです。国芳の際立った観察力が、この愛らしさを生むのです。

歌川国芳「里すゞめねぐらの仮宿」部分 弘化3年(1846) 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
歌川国芳「里すゞめねぐらの仮宿」部分 弘化3年(1846) 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)

一ツ家をめぐって

「一ツ家」は、金を奪うために旅人を殺し続けた老婆を、観音さまが改心させる伝説です。安政2年(1855)、国芳が描いた絵馬「一つ家」(浅草寺蔵)が話題となり、翌年、見世物に仕立てられました。そして今度はその見世物の様子を、国芳が浮世絵に描いています。
さらに「一ツ家」という画題は、弟子の芳年《よしとし》も描いています。
本展覧会では「一ツ家」を切り口として、国芳と見世物、そして師匠と弟子の表現をみていきます。

月岡芳年「奥州安達がはらひとつ家の図」部分 明治18年(1885) 名古屋市博物館蔵
月岡芳年「奥州安達がはらひとつ家の図」部分 明治18年(1885) 名古屋市博物館蔵

「芳」の遺伝子

遺伝子といっても、国芳の血縁関係をご紹介するわけではありません。幕末から明治にかけて、芳年らが師匠からどういう部分を継承し、そして自己の個性をどのように発揮していったか。そうした浮世絵師・国芳の遺伝子を、芳艶、芳虎、芳藤、芳幾、芳年ら弟子たちの作品を通してご覧いただきます。

歌川国芳「大物の浦平家の亡霊」嘉永2~4年(1849~51) 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
歌川国芳「大物の浦平家の亡霊」嘉永2~4年(1849~51) 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)

くらべて見る楽しみ

ここにあげたのは、国芳・芳年《よしとし》・芳幾《よしいく》が描いた作品の部分図です。
同じ絵師では、2つの図の間に7年から11年ほど年数が経過しています。見くらべてみると影響関係や成長ぶりが見えてきます。
それぞれ別の場所に展示されていますので、彼らを探しながら会場を巡ってみてはいかがでしょうか。

  • ①No.17 歌川国芳
    「八犬伝之内芳流閣」
    部分
    天保11年(1840) 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)

    No.17歌川国芳 「八犬伝之内芳流閣」部分 天保11年(1840) 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
  • ②No.9 歌川国芳
    「誠忠義士伝 六 吉田定右エ門兼貞」
    部分
    弘化3~嘉永元年(1846~48) 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)

    No.9歌川国芳「誠忠義士伝 六 吉田定右エ門兼貞」部分 弘化3~嘉永元年(1846~48) 名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
  • ③No.42 月岡芳年
    「英名二十八衆句 福岡貢」
    部分
    慶応3年(1867) 名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)

    No.42月岡芳年「英名二十八衆句 福岡貢」部分 慶応3年(1867) 名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)
  • ④No.138 月岡芳年
    「名誉八行之内 孝 日野阿若丸」
    部分
    明治11年(1878) 名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)

    No.138月岡芳年「名誉八行之内 孝 日野阿若丸」部分 明治11年(1878) 名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)
  • ⑤No.54 落合芳幾
    「英名二十八衆句 佐野治郎左エ門」
    部分
    慶応3年(1867)  名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)

    No.54落合芳幾「英名二十八衆句 佐野治郎左エ門」部分 慶応3年(1867)  名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)
  • ⑥No.134 落合芳幾
    「東京日々新聞 七百四十八号」
    部分
    明治7年(1874) 名古屋市博物館(尾崎久弥コレクション)

    No.134落合芳幾「東京日々新聞 七百四十八号」部分 明治7年(1874) 名古屋市博物館(尾崎久弥コレクション)

章構成

第1章

ヒーローに挑む

歌川国芳の出世作であり、その後も得意としたのが歴史上や物語に登場するヒーローの勇ましい姿を描いた「武者絵」です。
そのDNAは弟子たちに確実に引き継がれていきました。
国芳や弟子が逸話やヒーローたちをどのように表現したのかをみていきます。

歌川国芳「通俗水滸伝豪傑百八人之一人 花和尚魯知深初名魯達」
歌川国芳「通俗水滸伝豪傑百八人之一人 花和尚魯知深初名魯達」名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
歌川国芳「弁慶が勇力戯に三井寺の梵鐘を叡山へ引揚る図」
歌川国芳「弁慶が勇力戯に三井寺の梵鐘を叡山へ引揚る図」名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
歌川国芳「吉野山合戦」
歌川国芳「吉野山合戦」
名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)

第2章

怪奇に挑む

ヒーローの勇ましさを強調するためには、彼らが対峙する怪奇をいかに恐ろしく表すかということが重要です。
また状況が異常であればあるほど画中のドラマ性は高まります。国芳は血がほとばしる残虐な場面を描いた作品を描いていますが、時代の要請だったのでしょう、弟子もまたその路線を受け継ぎました。本章ではそうした怪奇を描いた作品や「血みどろ絵」と呼ばれる作品を紹介します。特に落合芳幾と月岡芳年が手がけた「英名二十八衆句」は全点を一挙公開します。
体調を整えた上でご覧いただくことをおすすめします。

歌川国芳「相馬の古内裏」
歌川国芳「相馬の古内裏」名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
落合芳幾「英名二十八衆句 げいしや美代吉」
落合芳幾「英名二十八衆句 げいしや美代吉」名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)
月岡芳年「英名二十八衆句 福岡貢」
月岡芳年「英名二十八衆句 福岡貢」名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)

第3章

人物に挑む

国芳が描く美人像は、現実味にあふれ、はつらつとした明るさを放っています。一方で芳年の描く美人は妖艶な雰囲気をたたえています。そうした女性たちは、国芳一門では、「しぐさ」や「気持ち」をまとって表現されます。ここでは、美人画を中心に役者絵も含めたそれぞれの人物表現をみていきます。

歌川国芳「山海愛度図会 五十七 はやく酔をさましたい 豊前小倉縞」
歌川国芳「山海愛度図会 五十七 はやく酔をさましたい 豊前小倉縞」名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)
月岡芳年「風俗参十二相 かゆさう 嘉永年間かこゐものの風ぞく」
月岡芳年「風俗参十二相 かゆさう 嘉永年間かこゐものの風ぞく」名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)

第4章

話題に挑む

国芳の戯画(滑稽な絵)はバリエーションの豊富さと、そしてアイデアの奇抜さにおいて他の追随を許しません。第1章の武者絵と並んで彼が浮世絵界に残した新機軸といっていいでしょう。
さらに一見、ユーモラスに見える国芳の戯画のなかには、幕政を風刺しているとしてさまざまな憶測が飛び交い大評判をとったものもあります。ここでは当時、話題となった見世物に取材したものや、世相をネタにした戯画など、ニュースソースとしての作品を紹介します。国芳が時代をどう捉え、いかに商品としたのか、その挑戦を見ていただきます。

歌川国芳「里すゞめねぐらの仮宿」
歌川国芳「里すゞめねぐらの仮宿」名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
歌川芳盛「浅茅ケ原一ツ家之古図 師匠之筆意ニ習らつて」
歌川芳盛「浅茅ケ原一ツ家之古図 師匠之筆意ニ習らつて」
名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)

終章

芳ファミリー

新機軸を次々と産みだし、晩年にいたってもなお浮世絵界を活性化させた国芳は親分肌だったと言われ、芳年の他にも画号に「芳」のつくたくさんの弟子がいました。「錦絵新聞」で印象深い芳幾、武者絵で秀作を残す芳艶のほか、芳虎、芳盛、芳員、芳藤などが出て明治の浮世絵を彩ります。ここ終章では、弟子による明治浮世絵の展開に目を向け、浮世絵最後の光芒を確認してみます。

落合芳幾「東京日々新聞 七百四十八号」
落合芳幾「東京日々新聞 七百四十八号」名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)
歌川国芳「浮世よしづ久志」
歌川国芳「浮世よしづ久志」名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
月岡芳年「東名所墨田川梅若之古事」
月岡芳年「東名所墨田川梅若之古事」
名古屋市博物館蔵(尾崎久弥コレクション)

コレクション紹介

「好き」をつらぬく

あなたの「好き」は何ですか?本展の核となるコレクションを形成した高木繁氏と尾崎久弥氏は、いずれも大正から収集をはじめ、まだ評価が低かった国芳らの魅力を普及するよう力を尽くしています。 他の評価に左右されることなく自分の「好き」をつらぬいた両氏の収集熱をご紹介します。

高木 繁

高木 繁

明治14年~昭和21年(1881-1946)
東京都出身。京都帝国大学福岡医科大学(現在の九州大学医学部)泌尿器科初代教授。大正10年(1921)頃から浮世絵を収集をはじめる。とりわけ国芳の武者絵と戯画を愛す。平成12年(2000)、コレクション231件534点が名古屋市博物館へ寄贈された。

尾崎 久弥

尾崎 久弥

明治23年~昭和47年(1890-1972)
名古屋市出身。青年期より、楓水の号で短歌、小説の創作を行う。国語教師として勤務してからも教鞭をとるかたわら、江戸文学の研究に邁進する。資料の収集は大正3年(1914)頃からはじめたという。とりわけ溪斎英泉らの美人画と江戸文学を愛す。 没後、名古屋市蓬左文庫へ寄贈されたコレクションのうち、浮世絵作品1,937件2,836点が昭和60年(1985)に名古屋市博物館へ移管された。

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