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【スポーツ】

[陸上]中村匠吾、4強破り駒大初の五輪マラソン選手

2019年9月16日 紙面から

40キロ付近で力走する優勝の中村匠吾。後方左は2位の服部勇馬、同右は3位の大迫傑=東京都新宿区で(今泉慶太撮影)

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◇マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)

 男子は残り1キロを切っても誰が勝つか、五輪代表になるか分からない、日本マラソン史上に残る激戦を中村匠吾(26)=富士通=が2時間11分28秒で制した。有力選手を向こうに回し、最後は服部勇馬(25)=トヨタ自動車=と日本記録保持者の大迫傑(28)=ナイキ=との競り合いを制し、来年の東京五輪出場権を獲得した。16日で27歳。東京五輪に日本最強ランナーとして挑む。

 最速がいた。最強もいた。だが、真っ先に帰ってきたのは日本記録保持者でも金メダリストでもない。鍛え抜いた健脚から繰り出すラストスパートで彼らを置き去りにした、27歳の誕生日を翌日に控えた中村だった。「26歳をいい形で終わりたいのと、27歳をいい気持ちで迎えたかったので、優勝して五輪内定も出て一番の誕生日プレゼントかなと思う」。力強く両腕を広げ、東京五輪へと続くフィニッシュテープを切った。

 正真正銘の一発選考。レースが動いたのは最終盤、39キロ付近だった。集団のペースアップにいち早く反応した中村が「勝負勘と最後までもつ自信があった」と先頭に立つ。食らい付いてきたのは日本記録保持者の大迫に、昨冬の福岡国際優勝の服部。4強のうち2名を向こうに回しても一歩も引かない。41キロで1度は大迫に並ばれたが、前には出さない。「試走でラスト800メートルの上りがポイントになると考えていた」と前日早朝に見極めた勝負ポイントで再度突き放し、ねじ伏せた。

 2人の師に導かれた優勝と五輪代表だった。母校・駒大の大八木弘明監督(61)には大学卒業後も師事し、足掛け9年目。「大学3年の時に東京五輪が決まり『マラソンで目指す。一緒にやらないか』と声をかけられて非常にうれしかった。指導に恩返しできた」とかみしめる。「男だろ!」の檄(げき)で知られる大八木監督も「本当にうれしい限り」と駒大初の五輪マラソンランナー輩出に、鬼の目にも涙だった。

 もう1人は三重・上野工(現伊賀白鳳)時代の恩師で2012年に62歳で亡くなった町野英二さん。「激流を流れる中の木の葉のごとく、うまくレースを進めなさい。木の葉が流れる中、川に石があってもぶつかることなく最後の最後までうまくレースを進めて、最後のポイントのところで勝負しなさい」と教えられたという。「町野先生の教えを実践できた」と勝負を決めた局面を振り返った。

 ゴール時には気温30度近いレースだったが「暑くなってほしいと思っていた」と願うほどの耐暑性は東京五輪でも大きな武器になる。「ここからの1年、五輪へ精いっぱい頑張りたい。4強に勝ったのは自信にしていいと思う」。日本最強ランナーとして20年8月9日、同じ東京都心を駆ける。 (川村庸介)

<中村匠吾(なかむら・しょうご)> 1992(平成4)年9月16日生まれ、三重県四日市市出身の27歳。172センチ、55キロ。三重・上野工(現伊賀白鳳高)3年時の2010年高校総体5000メートルで3位。駒大3年時の2013年にユニバーシアードのハーフマラソンで銅メダル。大学4年時の箱根駅伝では1区で区間賞を獲得した。初マラソンだった18年3月のびわ湖毎日は2時間10分51秒で7位(日本人トップ)。同年9月のベルリンマラソンで自己ベストの2時間8分16秒。

 

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