トップ > 中日スポーツ > スポーツ > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【スポーツ】

小出義雄「遺す言葉」第4回 夢の中でも監督をやっていた

2019年7月23日 紙面から

 本当に陸上好きだと、自分で苦笑することもあるよ。何度もおっかあ(啓子夫人)を驚かせるうちに、おっかあも慣れっこになったけどさ。

 一番は寝言だね。突然、跳び起きて「よーし、いいぞ、いいぞ」「遅れたぞ、行けー!」などと叫ぶらしい。鈴木博美は市立船橋高時代からの教え子で、1997年世界選手権アテネ大会の女子マラソンに優勝したが、ある夜、僕は跳び起き「博美が負けた…」と、悲壮な声でうめいたらしい。妻は「ほら、あんたが油断したから博美ちゃんが負けたんだよ。しっかりしなきゃ」。夢の中でも監督をやっていたんだね。

    ◇

 啓子夫人は、小出さんが最初に赴任した長生高時代の教え子で陸上部員・走り高跳びの選手だった。佐倉高に異動してから、小出さん32歳、啓子さん20歳で結婚した。

    ◇

 おっかあが陸上に理解があるのは助かるよ。僕の好きなようにやらしてくれた。新婚時代、佐倉の実家に居を構えたんだけど、通学に時間の掛かる選手を2人、居そうろうさせた。日当たりのいい南側に彼らを住まわせ、僕らは北側に引っ込んだんだ。それでも、おっかあは文句一つ言わなかった。「それであの子たちが強くなってくれたらいいね」と言ったんだ。

 博美(鈴木)が優勝したアテネを前に、おっかあが珍しく「私も連れて行って」とおねだりした。僕は「ダメだ」と断った。博美にとって、一世一代の真剣勝負の場と思って集中したかったからね。悪いことをしたと思ったから、00年シドニー五輪では、Qちゃん(高橋尚子)を完璧に仕上げて、こちらから、おっかあに「シドニーに行こう」と声を掛けたんだ。おっかあ、うれしそうな顔をしていたなあ。 (聞き手・満薗文博)

 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ