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【スポーツ】

小出義雄「遺す言葉」第2回 非常識こそが夢を現実にする

2019年7月19日 紙面から

 非常識をばかにしちゃいけないよ。笑ってはいけない。僕はいつも、世の中の常識を疑いつつ、夢を見てきた。

 僕はみんなより、4年遅れて大学に入った。1964年東京五輪の時は4年生。陸上競技の補助員として国立競技場にいた。女子の最長距離は、中距離種目の800メートルだった。1500、3000、5000、1万メートルはなかった。ましてや42・195キロを走るマラソンなど“幻”だった。

 五輪翌年、千葉県の公立高校の教員に採用され、長生高校に赴任した。そこで僕がやったのは、女子部員にも長距離を走らせること。トラック選手ばかりか投てき選手にも長い距離を走らせた。なぜか。当時の常識では、やがて5000メートル程度までは伸びるだろうが、骨身を削るフルマラソンの時代が来るとは、おそらく大多数の人が思ってはいなかった。僕は未来に「女性の時代の到来」を見て、教え子たちに、さっそうとオリンピックのマラソンを走らせる夢を描いたんだ。

 長生高校の後で赴任した佐倉高校でも同じようにやらせた。そのうち、オリンピックに女子マラソン−の声は急速に高まり、実際に84年ロス五輪からの採用が決まった。僕が非常識にも女子マラソンの夢を見てから、ロスは19年後だった。そのロスには、同じ千葉の成田高校出身の増田明美さんが出場したが、僕が佐倉で育てたマラソンランナー1号の倉橋尚巳も国内最高を樹立するまでになった。

 非常識が常識になる。23年間にわたる女子ランナーの研究は、やがて有森裕子や高橋尚子らで結実した。だから、成功した彼女らに言うんだ。「先輩の努力の上に君たちがいるんだ。感謝の気持ちを忘れてはいけないよ」と。 (聞き手・満薗文博)

 

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