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【スポーツ】

<平成最後のサムライたち> 山梨のデスパイネこと、山梨学院の野村 聖地で誰よりも輝く

2019年3月9日 紙面から

山梨のデスパイネこと、野村健太外野手=甲府市の同校グラウンドで(小原栄二撮影)

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 尊敬する人が、野口英世だ。黄熱病の研究で知られる医学者を挙げる高校球児は珍しい。「思いつく人がいなくて。たまたま近くに財布があって…」。1000円札から厳しくもやさしいまなざしでこっちを見ていたという。山梨のデスパイネと言われる巨漢主砲の野村健太外野手(2年)は、そんなちゃめっ気も見せてくれる。

 入学した時の体重が99キロ。そして“ガングロ”。吉田洸二監督がつけたニックネームは「デスパイネ」だった。本塁打王にも輝いたソフトバンクの大砲のイメージ通り、愛知・衣浦シニアのときから飛ばす力は抜けていたが、スタメンをつかんだのは2年夏。吉田監督は「期待はしていたんですが『こんなに太っていたら試合に出られないぞ』と言っていた。練習試合でのレフトからのバックホーム返球を見て使い始めたら、そこからですよ、すごい勢いで打ち始めた」と振り返る。

 本塁打量産が始まり、昨夏の甲子園、高知商戦で左翼中段まで飛ばす同点ソロ。秋の関東大会で初戦の中央学院(千葉)戦で2ラン、準々決勝の前橋育英戦でもスタンドに放り込み、通算34本塁打とした。ほかの選手は体を大きくするために夕食に白米、おかずなどを計1キロ近く食べるが、野村だけは逆に200グラム程度に制限して減量。「空腹はガムをかんでしのぎました」。秋に90キロ後半あった体重は年明けにはほぼベストの90キロまで落ちた。

 50メートルを6秒3で走り、ブリッジで歩けるほど体が柔らかい。横浜の黄金時代を築いた名参謀の小倉清一郎さんが臨時コーチとなって打撃指導。打つときのタイミングのとり方、体重移動の無駄な動きをそぎ落とした。チームの盛り上げ役的なところもあり、兄がラッパーで控え捕手の椙浦(すぎうら)と一緒に今はまっているのはラップ。センバツ出場が決まったときには「いくぜ センバツ甲子園 だけどそこは超危険 でも 俺たちは動じねえ」と歌った。

 中日入りしたエース垣越を擁した昨夏の甲子園は初戦で高知商に12−14で打ち負けた。「センバツでは必ず2勝以上はしたい」と野村。試合前に聴く、椙浦の兄で野球部OBでもあるH−PICEの「The way I am」には「二度とはないこの瞬間 誰よりもその場所で光れ」というフレーズがある。2度目の甲子園、大舞台でひときわ輝いてみせる。 (小原栄二)

◆練習試合で好発進 大学生から二塁打

 山梨学院は、練習試合が解禁となった8日に横浜市青葉区で日体大の1年生主体チームに胸を借りた。野村は4番ライトで出場。年上チームに苦戦もしたが、8回2死一、二塁で3番手の左腕・早稲田(新2年・宇部鴻城)から右中間に同点の2点二塁打を放った。

 4打数1安打の結果に「久しぶりの試合で(大学生に)高校生との違いも見せつけられましたが、センバツまでに、もっといい状態に持っていきたい」と話した。

<野村健太(のむら・けんた)> 2001(平成13)年8月27日生まれ、愛知県安城市出身の17歳。180センチ、90キロ。右投げ右打ち。小学3年から野球を始め、東山中時代は愛知衣浦シニアで内野手。山梨学院では2年夏から外野手でレギュラー。2年夏の甲子園は5番レフトで出場し本塁打も放って5打数1安打1打点。高校通算34本塁打。家族は両親と祖父母、姉2人。 

 

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