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【サッカー】

「申し訳ない」横浜M・仲川輝人の恩師が涙を流し悔やんだこと「もっと早くプロに行かせれば…」

2019年12月7日 23時2分

インカレで初優勝を決め、記念写真に一緒に納まる専大の源平監督(左上)と仲川(右下)ら=2012年

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大学4年のとき、右膝に大けが

 15年ぶり4度目のリーグ制覇を決めた横浜M。原動力となったのは、同僚マルコスジュニオールとともに15ゴールで得点王に輝いた仲川輝人。MVPも有力という飛躍のシーズンに迎えた仲川に対して「申し訳ない」と謝る恩師がいた。

 「申し訳ないとしか思えなくて、言葉も掛けてあげられなかった。もっと早くプロに行かせれば良かったという後悔しかありません」。仲川の恩師、専修大サッカー部の源平貴久総監督(47)はそう言って、こぼれ落ちそうになる涙を拭った。

 今も忘れたことはない。2014年10月19日。関東1部リーグ・駒大戦で、大学4年だった仲川は右膝にけがを負った。前十字靱帯(じんたい)と内側側副靱帯の断裂、半月板の損傷という選手生命を絶たれてもおかしくない重傷だった。

 翌15年に横浜Mに入団するも、プロ2年目、同3年目はともにJ2へレンタル移籍。「あのけがさえなければもっと…と思っているところが今もあります。すごく悲しい気持ちで…」。仲川が負った不運のけがを自らの責任と背負い込み、源平総監督は人知れず、ずっと自責の念にさいなまれてきた。

「1人だけ違うスポーツをやっている」

 仲川は入学当初からずばぬけていた。身長161センチながら、ぶれない基本技術、抜群のスピードとともに「全てを自分のコントロール下に置いてプレーする」という、幼少期から培ってきた異能を持ち合わせていた。

 相手の背後をいとも簡単に取って突破してしまう。あっけなく相手を手玉に取り、事もなげにゴールを決めてしまう。「速いのは特長ではない。相手を見て、相手と駆け引きできる。一手二手、さらに、その二手先まで考えている。最後まで思い描いた通りにプレーできる。本当に独特な選手。1人だけ違うスポーツをやっているようで、今でもよく分からないんです」。仲川の底知れぬ力を思い返しながら、源平総監督は小さく笑った。

 大学2年になると、プロから声が掛かるようになったが、仲川は専大でのプレーを選んだ。源平総監督は「大学で4年間、プレーさせてしまった。あの4年目はいらなかったんです」

 だが、仲川はけがを乗り越え、はい上がってきた。さらに強く、たくましく、そして、うまくなって、だ。やんちゃな風貌だが、「真面目で努力家」。その人間性を、向上心を、源平総監督は誰よりも知っている。

 今季33試合出場、15得点。横浜Mの中心に、いつも仲川がいた。

 「これくらいはできると正直、思っていた。もっとできてもおかしくない。プレーを見ていて、本当に楽しい。ワクワクする。それだけで彼には価値があるんです」

 仲川がピッチに咲かせた笑顔の花。恩師が胸中に堰止めていた重い後悔が、少しだけ氷解した瞬間だった。

 

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