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【首都スポ】

[バスケットボール]男子代表の佐古コーチ 実は現役時代にNBAからオファー 秘話明かす

2019年12月10日 紙面から

ピストンズのケーシー監督(AP)

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 史上最強とも言われる男子バスケットボール日本代表を「ミスター・バスケットボール」が支えている。佐古賢一アシスタントコーチ(49)。現役時代に国内最高のポイントガード(PG)として日本リーグで優勝7度、MVP3度を勝ち取り、冒頭の愛称で呼ばれた男が、現在はU−16、U−18代表ヘッドコーチ(HC)も兼任。NBAウィザーズの八村塁(21)を筆頭に現・元NBA選手3人を擁し、かつてない強力布陣となっている代表のさらなる強化を見据えている。

 佐古コーチには、現役時代に大きな後悔が一つある。NBAに行けなかった、ではなく「行かなかった」ことだ。

 1994〜96年の3年間、複数のNBAチームからオファーがあった。きっかけは所属していたいすゞ自動車コーチだったドウェイン・ケーシー現ピストンズ監督(2018年NBA最優秀監督賞)がスーパーソニックスのコーチに転身したこと。佐古は高く評価されており、1年米国でやればNBAで通用すると確信してチームを動かしていた。

 「2年目(95年)のオファーはすごかった。電話帳のようなぶ厚い書類が来て、中に航空券と契約書があって。『NBAのオファーはこうやって来るんだ』と思いました」

 同年はユニバーシアード決勝でアイバソン(元76ers)らを擁する米国と対戦して銀メダルを獲得した年。米国からの評価はさらに上がり、ジャズからも声が掛かった。

 ただ、当時は野茂英雄が日本球界からバッシングを受けながら大リーグへ挑戦する前後。海外移籍への抵抗も今では想像できないほど強かった。契約も当時でいう「インビテーション」で、1年目のメンバー入りはもちろん、2年目以降の立場も不安定。周囲には強く反対する声があり、最終的に断念せざるを得なかった。

 「チームを辞めて行こうとも思ったけど…。このことは現役時代は口が裂けても言えなかった。でも、今思うと、日本バスケ界を敵に回しても行かなきゃいけなかった」

 だからこそ、NBA選手が相次いで誕生した今の代表への思いは強い。「雄太や塁たちの世代がいるうちに代表をもっと完全な形にしたい。言い訳ができないような環境も用意したい」。NBAの夢を実現させた後輩たちのためにチームをたくましく、強くし続ける。

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