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【首都スポ】

[柔道]ミセス柔道家のパイオニア、楢崎教子 「菅原」で銅、「楢崎」で銀…語る

2019年1月23日 紙面から

00年シドニー五輪で銀メダルの楢崎(左)、金メダルのベルデシア(道家正幸撮影)

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 平成最初の五輪となった1992年のバルセロナ大会から柔道は女子も正式種目になった。中でもバルセロナから5大会連続でメダルを獲得した48キロ級の谷(旧姓田村)亮子(43)が有名で、結婚後の2004年アテネ大会前には「田村で金、谷でも金」の名言も残した。その谷と同じ時代に戦い、日本女子柔道で初めて結婚後もメダルを手にしたのが、00年シドニー大会52キロ級銀の楢崎(旧姓菅原)教子(46)=福岡教育大監督=だ。1996年アトランタ大会銅メダルの後に結婚し、一度離れた第一線に戻った思いとは。

96年アトランタ五輪柔道女子52キロ級で3位、銅メダルを胸に笑顔を振りまく菅原(共同)

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 頂点を逃しても悔いはなかった。2度目の出場となったシドニー五輪で得意の寝技を駆使して勝ち上がり、銀メダル。「出場できた感謝をかみしめ、力を出し切れた」。菅原姓で取った96年アトランタの銅より、「楢崎」としてつかんだメダルに誇りを感じた。

 アトランタの前年から国内外で連勝し、96年春の全日本女子選抜体重別選手権(当時)を制して五輪代表に選ばれた。世界選手権も含めて初の大舞台。何度も勝ったことがあるキューバ選手に「相手は普段よりもギアを上げていた」と戸惑い、3回戦で敗退。敗者復活戦を経て3位決定戦で銅メダルを手にした。

 翌97年。「4歳から稽古を続けて20年。ピークを迎えていたし、精神的にくたびれた」と第一線を離れ、筑波大の1学年先輩だった兼司と結婚した。それでも未練を断ち切れず、98年に復帰した。

 「五輪で力を出し切れなかったことを悔やんでいた。金メダルを目指すだけでは奮い立てなくても、自分の技を磨くためになら頑張れる。一度落ちた体力や気力を盛り返し、どこまで極められるか関心が出た」

 当時の柔道界で結婚後も競技を続ける選手は珍しく、周囲からは「菅原は終わった」と厳しい目を向けられた。それでも「真摯(しんし)に競技と向き合う姿を見てもらいたかった」とぶれなかった。アトランタ前の欧州合宿で、出産後のベルギー選手が夫や子どもの前で稽古をしていた姿が脳裏に焼き付いていたからだった。

 復帰前と比べて疲労の回復が遅く、思うように動かない体にいらだつこともあったが「ラグビーをしていた夫に悩みを聞いてもらい、家事も分担してくれた。支えてもらったのは大きかった」と感謝する。コーチの夫と二人三脚でアトランタから3大会連続で出場した陸上女子トラック長距離の弘山晴美の存在も「私だけが特別じゃない」と励みになった。

 同世代を駆け抜けた谷亮子もシドニー五輪で金。結婚後のアテネ五輪でも金メダルを取った。「彼女の努力する姿は私も含めた多くの人に力と勇気を与え、女子柔道界のレベルを上げる原動力になった。家族の支援を得て競技者としての人生を続けた姿も、多くの人に影響を及ぼしたと思う」と感謝する。

 楢崎が小学生だったころは柔道をする女の子が珍しがられ、正式種目になかった五輪を意識することはなかった。今では多くの少女が五輪に憧れ、全国大会で競う。福岡教育大で学生を指導する楢崎は歓迎する一方で、不安も抱く。

 「高校時代と比べて卒業後は急激には伸びなくなり、精神的にきつくなる。幼少期からけいこを続けてきた子が気持ちを切らさないか心配。心身をうまく休ませ、ケアをしながら能力が伸びると信じて頑張ってほしい」

 楢崎自身、大学では指導しすぎず、余力を残して学生を卒業させる。「競技者としてではなくても、柔道と関わっていきたいと思ってもらえれば」と願いを込めた。=敬称略  (末継智章)

 ▽1996年アトランタ五輪・菅原教子(銅メダルを獲得し)「(3回戦で)ベルデシアに負けて、このままじゃ帰れないと思った。負けたからじゃなく、自分の柔道ができなかったから。金じゃなくたって、3位でもうれしい。ヤッターって感じ」

 ▽2000年シドニー五輪・楢崎教子(決勝で一本負け)「中途半端だったかもしれない。あれが一本と言われるなら仕方ない。でも、決勝であんな形で負けるのは悔しい。弱い部分を克服するために、常に考えて練習してきた。ここまで充実してやってこられた気持ちは私の宝物」

<楢崎教子(ならざき・のりこ)> 1972(昭和47)年9月27日生まれ、神奈川県大和市出身の46歳。旧姓菅原。現役時代に得意としたのは寝技。4歳のとき、父親が主宰する同市の道場で柔道を始める。日大藤沢高から筑波大を経て実業団のダイコロへ。96年アトランタ五輪52キロ級銅、2000年シドニー五輪同級銀。10年から福岡教育大監督。

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◆5大会連続メダルのヤワラちゃんは田村で金、谷でも金

 谷は結婚前の1992年バルセロナ、96年アトランタと五輪2大会連続で銀メダルだったが、00年シドニー大会で悲願の金メダルを獲得。03年12月に谷佳知(当時プロ野球・オリックス)と結婚し、04年アテネ大会で「谷でも金」を実現=写真。05年6月に第1子の妊娠を公表した際、冒頭の発言をした。08年北京大会では「ママでも金」の願いはかなわなかったが、3位で5大会連続となるメダルを手にした。

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