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【ラグビー】

ラグビーW杯南アの背番号「6」は24年前、マンデラ大統領が背負った…運命を感じる同国初、黒人主将への継承

2019年10月30日 23時24分

20日の試合後に、健闘をたたえ合う日本のリーチ主将と南アフリカのコリシ主将

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当時の主将のジャージーでスタジアムに

 マンデラさんの魂は受け継がれる―。2日に横浜・日産スタジアムで行われるラグビーW杯日本大会の決勝。3大会ぶりの優勝を目指す南アフリカのシヤ・コリシ主将(28)は、同国代表初の黒人主将だ。その主将が背負う背番号は「6」。それは、アパルトヘイト(人種隔離)政策を撤廃した“新生国家”が国際舞台に戻って劇的な優勝を飾った1995年W杯で、あのレジェンドが背負った番号でもあった。

 11月2日の決勝。主将として先頭でピッチに現れるシア・コリシ主将の姿を、多くの南アフリカ国民は特別な思いで見詰めるはずだ。

 「背番号6は、あの日マンデラが着ていたジャージーと同じ番号。私たちにとっては特別なことです」

 そう言ったのは、2007年W杯で優勝した元南アフリカ代表WTBで、元ニュージーランド(NZ)代表のジョナ・ロムー(故人)と並ぶ通算15トライのW杯最多記録を持つブライアン・ハバナさん(36)だ。

 ハバナさんは、スポーツを通じて社会貢献活動に取り組んでいるローレウス・スポーツ財団が29日に都内で開いたイベントで、1995年W杯南アフリカ大会の映像に目を潤ませた。

 南アがアパルトヘイト(人種隔離)政策を撤廃し、黒人解放運動の指導者だったネルソン・マンデラさんが大統領に就いて初めて迎えたW杯で、南ア代表「スプリングボクス」は初出場で初優勝を飾った。

 マンデラ大統領は、自分を27年間も投獄した旧白人政権の象徴だったラグビーを憎まず、人種融合のシンボルにした。決勝当日には、当時のピナール主将の背番号6のジャージー姿でスタジアムに登場。延長の末にNZを破った主将にエリス・カップを渡した。

 「僕は12歳だったけれど、幸運にもあのスタジアムでその場面を目撃できた。スポーツが社会を変える、国をひとつにする力を持つことを知った。特別な瞬間だった」

29日のイベントで、1995年大会の思い出を、目を潤ませて話すハバナさん

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07年W杯、ハバナさん2度目Vの主役に

 これを機にラグビーを始めたハバナさんは12年後、24歳になり、スプリングボクスのWTBとしてフランスで開かれた07年W杯に出場。トライ王とMVPを獲得する活躍で、2度目の優勝の主役となる。そしてまた、それを旧黒人居住区にある自宅近くの食堂のテレビで見ていたのが16歳のコリシだった。

 「家にはテレビがなかったんです。当時は子どもだったけど、スポーツで国がひとつになるんだと実感しました」

 コリシは20歳でスーパーラグビーのストーマーズに入り、13年、22歳で南アフリカ代表で初キャップ。18年に南ア代表で史上初めて黒人で主将を拝命。そして19年W杯で母国を3度目の決勝進出に導いた。

 チームメートのFWブリッツは言った。

 「覚えておいてくれ。シヤ(コリシ)は優れたリーダーだから主将なんだ。肌の色は関係ないことを教えてくれるんだ」

 南ア融合の新たな象徴たるコリシも言う。

 「南アにはたくさんの民族がいて、11の言語が使われている。われわれの国のいいところです」

 多国籍の選手で構成された日本代表が快進撃を飾ったW杯は、最後までダイバーシティー(多様性)がキーワードになりそうだ。

 

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