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【ラグビー】

1995年W杯南アフリカ大会 村田亙さんが語る楕円球が生んだ秘話

2019年7月20日 紙面から

笑顔の子どもたちに囲まれやはり笑顔の村田さん。W杯南アフリカ大会で最も幸せな時間だった=南アフリカ・ブルームフォンテーンで

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 南アフリカ大会は「黒歴史」だけじゃない! ラグビーW杯日本大会の開幕までちょうど2カ月。過去のW杯に出場した元日本代表によるレジェンドトーク第2弾は、1991年、95年、99年大会にSHで出場した現専大の村田亙(わたる)監督(51)。今回光を当てるのは95年南アフリカ大会。日本代表がニュージーランド代表(オールブラックス)に17−145という記録的大敗を喫したことばかりが語られがちだが、実は世界に誇れる温かい秘話があった。それはタウンシップ(旧黒人居住区)を訪問してのラグビー指導。当時の写真とともに紹介する。(文・写真=大友信彦)

 「詳しいことは聞いてなかったんです。子どもたちのところへ行ってラグビー指導をするよ、場所は貧しい人たちが多く住むエリアだけど、ラグビーは国技だからみんな楽しみにしていると聞いて『よし、楽しませなきゃ…』と思ってました」

 村田さんは24年前の記憶を手繰ってくれた。

 95年6月1日、第3回南アフリカ大会で、ブルームフォンテーンに滞在していた日本代表チームは、同市郊外にある旧タウンシップのレルウェイ・スタジアムに出向いてラグビー教室を開いた。日本が3試合を戦ったブルームフォンテーンのあるオレンジ自由州は、南アでも特にラグビーの盛んな地域。従来は完全に白人だけのスポーツだったが、3年前に黒人の住む地区にもラグビースクールができたという。

24年前の思い出を語った専大・村田監督。背後のオールブラックスジャージーはW杯南アフリカ大会のあの試合で交換したものだ=神奈川県伊勢原市の専大合宿所で

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 この日、指導に出向いたのは前日のアイルランド戦に出場しなかった選手10人とコーチ陣だった。

 「車の窓から見える景色がだんだん変わって、ほこりっぽくて、トタン屋根や掘っ立て小屋みたいな家が増えてきて、車中も静まり返った。特別なところへ来たことは、みんな理解しました」

 だが、グラウンドに着いて車を降りてみると、8歳から19歳まで約90人の少年少女が最高の笑顔で待ち構えていた。

 「最初は緊張してたけど、一緒にウオームアップを始めたら打ち解けて、『カモン!』と言って走りだしたら、みんな喜んで追っ掛けてきた。体を動かせば、みんな楽しくなるんですね」

 この大会中、多くのチームが同様の指導交流を行ったが「他のチームは、自分たちの練習グラウンドに子どもたちを呼んだ。彼らの住んでいるところまで行って指導したのは日本だけだそうです」と徳増浩司広報(当時)は誇らしげに説明した。子どもたちの表情には、自分たちの地元にゲストを迎えた喜びが表れていた。はだしの子も多かったが、年齢も性別も関係なく走り、鬼ごっこやボールリレーで歓声を上げた。

 そして、この日の仕上げは、子どもたちのベスト10人と日本の選手・コーチ10人による10分間のタッチラグビー試合。いわば日本と南アの初のテストマッチだったが…。ラグビー経験ゼロに近い少年たちは、細身でも驚異的なバネと加速で、日本の選手やコーチが余裕で追い付くと思ったところをスルリと抜いていく。日本はトライ数0対2で完敗を喫したのだ。

ラグビー指導の仕上げは日本−南アフリカのタッチフット対決だったが……トライ数0−2の完敗。すごい身体能力でした…

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 「身体能力がすごかったですね。あと洞察力。周りが次にどう行動するかを予測して動くのがすごい。僕が『MVPの子に何かプレゼントしよう』と思ってリストバンドを外した瞬間、みんなものすごい勢いで殺到してきて、結局、誰にあげたか分からなくなったくらいです(苦笑)」

 試合だけでは分からない。その国の姿を知るのは、貴重な経験だった。

 「僕の現役時代は、海外遠征というと、トンガやサモア、ジンバブエ…。設備も整っていない国も多かった。ジンバブエではバスが故障して選手みんなで押したり、車のドアが壊れて道路に落ちたトランクを慌てて集めに降りたり。珍道中でした。でもどこでも温かく迎えてくれた。今度のW杯は日本が外国のお客さんを迎える番です」

 最近はフランス時代のチームメートで、SOだったバンサン・エチェトーさんとSNSでつながり「日本のW杯に行くよ」と連絡を受けたという。

 「彼は今バイヨンヌの監督をしていて、僕が大学の監督をしていると知ったら『じゃあ練習に顔を出すよ』という話になった。再会が楽しみです」

 1987年の第1回大会から32年。その間、たくさんの日本代表選手が世界に挑み、世界各地に足跡を残してきた。今度は世界で出会った仲間が日本に来てくれる。同じような再会と新たな出会いが、きっと日本中で始まる。

◆リーチ主将共感「みんなに話そうかな」

 「すごくいい話ですね。聞けてうれしい」。95年大会での黒人居住区訪問の史実を伝えると、日本代表のリーチ主将は目を輝かせて「今度、ジャパンのミーティングでみんなに話そうかな。いいモチベーションになると思う」と続けた。

 リーチは現在の日本代表が多くの外国人選手を含んでいることについて「外国人が多いのはこれからの日本の縮図。ダイバーシティー(多様性)を持ったチームの強さをW杯で証明したい」と話している。それだけに、相手の地元を訪ねてラグビー指導を行った24年前の先輩たちの行動には深く共感したようだ。

<村田亙(むらた・わたる)> 1968(昭和43)年1月25日生まれ、福岡市出身の51歳。6歳のとき草ヶ江ヤングラガーズでラグビーを始め、城南中、東福岡高、専大を経て東芝府中へ進み、日本選手権3連覇を達成。日本代表SHで91年、95年、99年W杯に出場。99年日本人初のプロ選手としてフランスのバイヨンヌに移籍。2シーズンプレーした後、ヤマハ発動機に加入。2002年関西社会人リーグ初優勝、04年トップリーグ準優勝。07年度で引退後は7人制日本代表監督を経て12年から専大監督。

<タウンシップ> アパルトヘイト(人種隔離)政策時代の南アフリカで黒人専用の居住区と定められていた地域。白人居住区のような交通・建物の整備はされず、スラム化していたところが多かった。1992年にアパルトヘイトが撤廃され、法的には居住地選択の自由が認められた後も、黒人の大多数は同所に住み続けている。質素な建物が多い一方で、経済的に成功した黒人の邸宅もまれにある。

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貧富の差は激しかった。これはヨハネスブルク近郊にある最大のタウンシップ、ソウェトの様子

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