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【プロ野球】

缶詰8個持ってレジで2時間待った… あの「1・17」から25年 オリックス田口コーチが思うこと

2020年1月17日 15時43分

阪神・淡路大震災から25年。大阪市此花区の球団施設で黙とうするオリックスの田口野手総合兼打撃コーチ(中央)

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 阪神・淡路大震災から25年を迎えた17日、被災者でもあったオリックスの田口壮野手総合兼打撃コーチ(50)が節目の年の優勝を誓った。

 「神戸のファンの後押しをいただいて、優勝したいです」

 強烈な音は今も耳にこびりつき、強い揺れは忘れない。「今でも、ドアをどーんと閉められるとドキッとする」。1995年1月17日の午前5時46分。地震が発生した瞬間、神戸市北区のマンションで飛び起きた。当時は現役選手で4年目を迎えようとしていた。イチローが暮らしていた神戸市西区にあった合宿所「青濤館(せいとうかん)」から退寮し、一人暮らしを始めたばかり。家具は冷蔵庫、テレビ、ベッドぐらい。テレビは倒れたが、それほど被害を受けたわけではなかった。

 しかし、家から出てみると地割れがあったり、木が倒れていた。食料品がなく「1、2日は何も食べられなかった」。震災から2日目ごろに近所のスーパーが営業再開すると客が長蛇の列。2時間並び「買い占めるわけにはいかない」と缶詰を8個だけ購入。レジでまた2時間ぐらい待ったという。

 西宮市にある実家は半壊した。戻ろうにも交通網が寸断され、春季キャンプが終わるまで戻ることはできなかった。近くのトンネルまでのランニングが自主トレ代わり。トンネルが通れるかどうか確認するためだったが、通過は復興車両に限られ、一般の車はしばらく通ることができなかった。

 春季キャンプは「来られる者だけでいい」と通知を受けたが、全選手が集まった。キャンプ中は「朝、昼、晩の3食を食べられて、あったかい風呂にも入れる。そういう普通の生活をしていていいのかな、という思いはあった」と振り返る。

 その年は「がんばろうKOBE」を合言葉にイチローの活躍もあり、球団譲渡7年目にしてオリックスはリーグ優勝を果たす。監督は仰木彬。翌1996年は日本一に輝いた。それ以降、優勝はない。12球団でもっとも優勝から遠ざかっているチームがオリックスである。

 節目の25年を迎えて田口コーチは「早かったような気もする。あのときはお互いに励まし合って頑張った。ファンの後押しがあったから結果に表れたと実感した。

 2011年に東日本大震災が起こったとき、田口コーチは「あったかいものが食べたいだろうなと思って」カップラーメンをガレージがいっぱいになるぐらい集め、被災地に送った。自衛隊に託して届けたという。

 神戸の街を見渡せば復興したと感じる。ここまでどうしてきたか、何をしてきたか、それを伝えることが今後、災害があったときに役立つと思っている。チームとしては「勝ちたい」と何度も繰り返した。

 

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