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【ドラニュース】

【龍の背に乗って】「77」と「92」ダブって見えた2つの背中

2019年5月20日 紙面から

星野監督(中)が自らマウンドに向かい、与田(左)に声を掛ける=1990年4月、神宮球場で

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 マウンドへ歩み寄る92番の後ろ姿が、なぜだか77番にダブって見えた。1990年4月7日。大洋との開幕戦(ナゴヤ)が与田のデビュー戦だった。同点の延長11回、無死一、三塁。期待のドラ1を、いきなり燃え盛る炎の中に突き飛ばした星野監督が、マウンドで待っていた。

 「そう。僕が行ったときには星野さんがいた。短い言葉だったのは覚えている。とにかく、僕自身が緊張していたからなあ」。極度の緊張感と29年の歳月が記憶を鈍らせてはいるが、燃える男はなぜか薄く笑っていた。そしてボールとともに渡した言葉は「思い切っていけ」のみ。そのひと言だけで十分だった。

 プロの投手、それも9回を任されるような男には熱いハートと太い肝が備わっている。新人・与田をひと言で鼓舞した星野もまた、修羅場で男を磨いた。巨人の10連覇をついに阻止した74年。当時の関係者が語り継ぐ熱戦は、実は優勝を決めた大洋戦ではなく、その直前のヤクルト戦(神宮)だ。追いついた直後の9回に登板し、引き分けに持ち込んだ。これで残り4試合でマジック2。大きな峠を越えた試合について、僕は生前の星野さんからこう聞いた。

 「終わってベンチに帰ってきて、水を飲もうとしたんや。すると、湯飲みに入れたはずの水がほとんどない。震えが止まらんかったんやな」

 こぼれた水で床がぬれていた。それで自分の手の震えに気付いたのだ。この年の初代セーブ王にして沢村賞。その星野さんでも胃がねじれる。それが勝負だ。

 打線が必死に奪った5点と、先発の清水や中継ぎが懸命に守ってきたマウンド。そのすべてを託されるのがクローザーの使命だ。星野と与田。2人ともここで挙げた試合を「生涯最高のピッチング」と位置付けている。重く、苦しいからこそ、尊いのだ。「あそこで複雑なことは言わないよ」。あれから29年。大ピンチをしのいだ新人右腕は監督となり、マウンドへ向かった。かけたのは星野と同じ、太く、短い言葉だった。

(渋谷真)

 

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