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【ドラニュース】

【龍の背に乗って】柳も悔しさを糧に

2019年4月29日 紙面から

 平成も残り2日。この日の先発メンバーは、両チームともに平成生まれが6人を占めた。先日の広島遠征で、柳とゆっくり話す機会があった。平成6(1994)年4月生まれ。「10・8」やイチローの210安打が球史に刻まれた年だ。

 「僕、イチローさんはマリナーズの人で、松井さんはヤンキース。松坂さんも記憶にあるのはレッドソックスなんです」

 僕は思わずのけぞった。それぞれの入団時に、柳は7歳、9歳、13歳。オリックスや巨人、西武での活躍物語は後から知ったということだ。そこから昭和生まれのおじさんによる「平成講座」が始まった。野球界の歩みを口伝したのである。阿波野投手コーチの現役時代を話していると、勢い余って「10・19」にたどり着いた。

 「それ、わかります! こないだテレビでやってましたよね?」。柳くん、それは「10・8」だ。中日だ。阿波野コーチは近鉄のエースだったのだよ・・・。

 勢い余ってというのは「10・19」は昭和63年の出来事だからだ。西武とデッドヒートを繰り広げていた近鉄は、ロッテとのダブルヘッダーに連勝すれば逆転優勝という状況で、川崎球場に乗り込んだ。仰木監督は接戦を制した第1試合に続いて、第2試合もエースをリリーフに投入した。だが3年連続でシーズン200イニングを超え、完投から中1日。1点リードの8回、捕手のストレートのサインに首を振り、投じたシンカーは同点弾となって左翼席で跳ねた・・・。

 翌平成元年に阿波野は最多勝、チームは逆転優勝を遂げた。悔しさを糧にして、悲劇の1球は伝説の一部となった。優勝がかかった試合の1球と並べてはいけないが、柳も下位打線に打たれて白星を逃してしまった。

 「勝っている状況で次の投手につなげるようにしたい」。世間では「ゆとりちゃん」呼ばわりされ、土曜日に学校があったなんて知らない。だけど悔しさが成長を促す。そこに昭和も平成もない。

(渋谷真)

 

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