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【ドラニュース】

立浪を1度だけブチ切れさせた宮本 偉大な先輩に「遅すぎる」

2019年1月16日 紙面から

2009年10月11日の試合終了後、ヤクルト・宮本(右)から花束を受け取る立浪=神宮球場で(谷沢昇司撮影)

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 その背中を常に追いかけていた−。立浪和義さんの野球殿堂入りを祝し、PL学園時代の一学年後輩で現ヤクルトヘッドコーチの宮本慎也(48)が15日、本紙の取材に応じた。「正直、殿堂入りは遅すぎるくらいじゃないですか」と前置きしながら「本当におめでとうございます。心から祝福します」と続け、偉大な先輩との旧交を語った。(文中敬称略)

 たかが一歳違い、されど一歳違い…。宮本は立浪に対し、羨望(せんぼう)のまなざしを向け続けていた。

 「PLの時から追い付きたいと思って野球をやっていたし、一生追い付けなくとも、せめて近づきたいと思っていた。プロに入ってもユニホームの着こなしから、打撃フォームまでマネしていた」。遊撃手としてヤクルト黄金時代を築き、ゴールデングラブ賞は10度獲得し、通算2133安打。球界を代表した名手ですら、雲の上の存在として模範としていた。

 ただ、そんな憧れの人を一度だけ怒らせたことがある。宮本が2005年から日本プロ野球選手会会長に就任し、08年北京五輪の日本代表の主将も任され、名実ともに球界のリーダーだった時のことだ。ある日、マッサージを受けていたところに立浪からの電話。やや寝ぼけ状態で対応したところ、いつもと違う雰囲気で電話を切られたという。後にPL学園の先輩・片岡(元阪神)から立浪が電話の対応に激怒していると伝え聞く。すると、宮本はすぐさまコールバック。ただ10回鳴らしても、電話に出てくれない。11回目…。ようやく電話に出てもらうと、立浪から“お説教”が待っていた。

 「電話では、おまえがマッサージを受けてるかどうかなんかわからないぞ…って言われて、確かにその通りだなと。それとあの時は、もう30代後半のベテラン。周囲に自分を本気で叱ってくれる人なんていなくなる。そういう意味でも、立浪さんの存在は本当に有り難かった」

 

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