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【Penペン草紙】

「今日も闘おう 早川史哉と共に」  病魔に打ち勝ったフットボーラーの物語

2019年10月9日 18時0分

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 病魔に打ち勝ち、1人のフットボーラーがピッチへ戻ってきた。J2新潟のDF早川史哉(25)。Jリーグデビューを飾って約4カ月後の2016年6月、急性白血病を発症したことが公表された。闘病生活、骨髄移植手術、契約の一時凍結…。今年10月5日の鹿児島戦で1287日ぶりに公式戦へ復帰、先発フル出場した。

 ホームに1万2583人を集めた復帰戦。背番号はプロ1年目と同じ28。「ずっと病気の時も支えてくれてたので感謝したい」。試合後、両親の話をしたとき、涙したという。

 現A代表の中島、南野らと出場した11年U―17W杯メキシコ大会の日本代表。記者が初めて取材をしたのは、筑波大4年生で、主将を務めていた15年。サイドバックとして攻守に惜しみなく走り、ここぞのタイミングで攻め上がるセンスは抜群だった。クリッとした目、とても穏やかな口調が印象的で、後輩たちからの人望も厚かった。

 7月、ジュニアユース、ユース時代を過ごした新潟入り内定の記者会見。「(育成組織にいた頃のトップ選手に)自分が憧れたように、今度は自分が小さい子どもたちに夢や感動を与えられるような存在になりたいと思います」と、目を輝かせて言った。

 一方、大学では重責を担っていた。この年は関東大学リーグ2部。同大の前身は1924年のリーグ創設時の1部校で、70年代に筑波大と改称されてから初めての2部だった。主将としては、1年で1部へ復帰させたい。しかし、自身は右膝の故障で4月下旬から戦列を離れていた。記者会見の時点で、1部昇格圏外の3位。「まずはここでのレギュラー争いです」。選手層が厚く、チーム内の競争は激しかった。主将であっても、何も保証はなかった。

 8月の総理大臣杯全日本大学トーナメントで復帰し、チームの3位に貢献する。じわじわと調子を上げて迎えた、11月14日のリーグ最終戦。筑波大は引き分けて勝ち点1を積み上げ、2位で1部復帰を決める。大学ラストゲームを終えた主将はそぼ降る雨のなか、「ホッとしました。これで年末をしっかりと過ごせます。去年の年末は、できなかったので」とほほ笑んだ。病気の公表は、その7カ月後だった。

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 回復を願う後輩たちは、大学の試合会場に「今日も闘おう 早川史哉と共に」と書いた横断幕を毎試合掲げ、新潟のユニホームをベンチにつるした。16年12月の全日本大学選手権では、病床の先輩へ優勝を―と勝ち続け、13大会ぶり9回目の頂点に立った。

 「子どもたちに夢や感動を与えたい」。4年前の目標は、今もきっと変わらないことだろう。さらなる活躍を願ってやまない。(関陽一郎)

 

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