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【ボクの思い出STADIUM】

藤崎台&草薙球場

2016年9月13日 紙面から

 4月の熊本地震からの復旧が進む藤崎台球場では王貞治(76)=ソフトバンク球団会長=が現役生活を終えた。プロ野球誕生前からある草薙球場では長嶋茂雄(80)=巨人終身名誉監督=が最後の勇姿を披露した。今回はONそれぞれの思い出スタヂアムを取り上げる。 (文中敬称略)

震災に負けない

(左)阪神とのオープン戦で最後の一本足打法の勇姿を披露する王貞治(右)現役最終打席で1032号のホームランを放ち、ホームベースで中西太・阪神監督(左)が花束を持って出迎える。右は小林繁投手=1980年11月16日、藤崎台球場で

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 いつもと違う夏に、いつもと同じ球音が響くありがたさ。熊本地震で被災した藤崎台球場が、例年通りに熊本大会のメイン会場となることが決定したのは6月21日。左翼芝生席は閉鎖するなど、地震の爪痕がなお残る球場で63チームが元気に行進し、7月10日に開会した。

 両翼99メートル、中堅122メートル。開場当時から国際規格を満たした球場は、県民の自慢だった。さらなる自慢の種は「世界の王」が最後の本塁打を放った球場であること。1980(昭和55)年11月16日。4日に現役引退を表明した巨人の王貞治だが、当時はあった公式戦終了後の「秋のオープン戦」に出場。いよいよ最終戦となったのが藤崎台での阪神戦だった。

おまけの1打席

 「4番・一塁」で出場し、迎えた5回。「もう若いやつに経験を積ませてくれ」と言う王を、コーチが説得し、最後と決めた打席に立った。その4球目。宮田典計のストレートを、広い藤崎台の右翼席中段にライナーで打ち込んだ。

 翌17日付の中日スポーツでは『王が泣いた』の見出しを付け、この打席は白の手袋を外し、素手でバットを握ったエピソードを紹介。王は「最後の写真くらい、僕の本当の姿を撮ってもらいたかった」と理由を説明している。さらに花を持たせてくれた宮田に3度も「ありがとう」と頭を下げ「きっと神様とファンが打たせてくれた」と感謝の言葉を残している。

 公式戦で放った868本塁打は有名だが、これに日本シリーズやオープン戦などを加えると、通算1032号。豪快なラストアーチで、世界の王は現役生活を終えた。

 今季はソフトバンクが4月10日に公式戦を開催。同19日には巨人−中日戦が予定されていたが、直前の16日に発生した本震で中止を余儀なくされた。

 地震後は屋根を支える鉄骨の一部が曲がったメインスタンドや、照明塔など施設の応急対策工事を急ピッチで仕上げ、高校野球の開催にこぎ着けた。現在も立ち入り禁止区域は残っているが、10月には本格的な復旧工事が始まる。来年3月までに完了する予定で、来季は問題なく開催できそうだ。

 復旧費用は3億6000万円が見込まれている。6月にはソフトバンクの松坂大輔(36)、摂津正(34)両投手が、それぞれ1000万円、300万円を寄付。球場を管理する熊本県スポーツ振興事業団の葵大二郎(50)は「本当にありがたいことです」と感謝する。

 今夏の収容可能人数は被災前から2400人減の1万2600人となったが、熊本大会の準決勝や決勝には1万人以上が詰めかけた。葵も「スタンドが9割以上埋まった。県民のみなさんの思いを感じた」と話す。野球熱の高い県民自慢の「聖地」は、熊本城とともに復興へ歩む人々を勇気づけるシンボルでもある。 (相島聡司)

「いろいろな感傷もあるが、よく打ったね」

翌日には監督就任

巨人−メッツ 5回裏無死一、三塁、長嶋は三遊間を破るヒット。これが「現役最後」のヒットとなった=1974年11月20日、草薙球場で

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 ミスタープロ野球・長嶋茂雄がバットを置いた場所。それが草薙球場だ。1974(昭和49)年11月20日、親善野球のため来日していたニューヨーク・メッツとの最終戦だった。

 長嶋が後楽園での引退試合に臨んだのが10月14日。「わが巨人軍は永久に不滅です」の言葉はあまりに有名だが、その後も親善試合に出場を続けていた。いわばアンコール興行。全国を転戦し、多くのファンが引退を惜しんだが、ついに最後の瞬間はやってきた。

 同じ草薙で沢村栄治が全米選抜を相手に快投を演じたのも、40年前の11月20日。「4番・三塁」で出場した長嶋は、左翼線への二塁打と左前適時打を放ち、3万人の観衆から喝采を浴びた。

 「現役はこれが最後。いろいろな感傷もあるが、よく打ったね。われながらそう思うよ」

 当時の長嶋はさわやかに語っている。なおこの試合で本塁打を放ったのがジョー・トーリ。のちに長嶋は巨人で、トーリはヤンキースで松井秀喜と師弟関係を結ぶことになる。また10連覇を逸し、監督を退いた川上哲治にとってもこれがラストゲーム。この翌日には長嶋の監督就任会見が行われた。 (渋谷真)

【アラカルト】藤崎台

熊本城(手前)のすぐ側にある藤崎台球場=4月16日、中日新聞社ヘリ「まなづる」から

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 ▼正式名称 藤崎台県営野球場

 ▼完成 1960(昭和35)年10月4日。73年8月にナイター施設も完成

 ▼所在地 熊本市中央区宮内4−1

 ▼名前の由来 藤崎八幡宮(935年創建)があったことから

 ▼対決 王がラストアーチをかける4カ月前の80年夏、熊本大会決勝は熊本工が八代を6−4で下し甲子園へ。熊本工の「3番・捕手」が伊東勤、八代の「4番・投手」が秋山幸二だった。ともにこの試合で本塁打を放っている

 ▼クスノキ 中堅後方の7本のクスノキは24年に国の天然記念物に指定。推定樹齢1000年で幹囲20メートル、樹高27メートルが最大。天然記念物で枝が切れないため、枝に当たった場合のローカルルールがあった。現在はグラウンドにはみ出ないようにロープで固定

【アラカルト】草薙球場

リニューアルされた草薙球場=2013年5月3日、中日新聞本社ヘリ「おおづる」から

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 ▼正式名称 静岡県草薙総合運動場野球場

 ▼所在地 静岡市駿河区栗原19−1

 ▼開場 1930(昭和5)年7月15日。静岡電気鉄道(現静岡鉄道)がつくり、39年に県に寄付された

 ▼規模 当初は両翼91メートル、中堅115メートル。2度の大規模改修をへて、現在は両翼100メートル、中堅122メートル、収容人数は2万1656人

 ▼スクールボーイ プロ野球誕生以前の34年11月20日、日米野球が開催され、京都商を中退したばかりの沢村栄治がルー・ゲーリッグの本塁打による1失点で完投。敗れはしたが、ベーブ・ルースからを含め、9奪三振の快投は伝説となっている

 ▼史跡 球場内には当時の本塁を示す位置が保存されており、見学できる。また、球場前には沢村とルースの像が建立されている

【回想録】故意だった死球・・・謝らないと決めていた

「宮下昌己殴打事件」の真実

巨人−中日 (左)7回裏2死二塁、クロマティへ死球を投げる宮下(右)マウンド上で右クロスを食らう=1987年6月11日、藤崎台球場で

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 竜党にとって「藤崎台」といえば、今も忘れられないのがウォーレン・クロマティ(巨人)による「宮下昌己殴打事件」だろう。1987(昭和62)年6月11日。死球に激高したクロマティが「謝れ」とマウンドに詰め寄る。星野イズムが浸透していた宮下も帽子は取らない。右クロスが一閃(いっせん)...。

 「宮下が逃げなかったのは見えていたけど、2人がどんな会話をしていたかは、後日わかったことなんです。宮下とは何度か飲みにも行ったけど、気の良いやつでした」

ハッスルエイド2007でクロマティの試合を笑顔で観戦する元中日の宮下昌己

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 その一部始終を中日スポーツの番記者として目撃したのが、増田護(現月刊ドラゴンズ編集長)だ。試合後も取材に追われ、選手宿舎に直行。熊本の旧友と再会する約束は吹き飛んだ。

 通算255イニング1/3を投げ7死球と宮下の制球力は決して悪くなかった。現役引退後の07年、増田の取材に故意だったと認めた上で、謝らないと決めていたことを告白した。

(次回は10月5日掲載)

 

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