トップ > 中日スポーツ > コラム > コラム 人生流し打ち > 記事

ここから本文

【コラム 人生流し打ち】

[コラム]君は架け橋になるために頑張った 死去から4年…元中日・大豊さん 魂は日本と台湾をつながる海へ

2019年11月15日 23時22分

現役時代は一本足打法でファンを魅了した大豊

写真

 中日で活躍し、2015年に白血病で亡くなった大豊泰昭さんの遺骨が15日、4年間の供養を経て本人の希望通り散骨された。場所は千葉・銚子沖だそうだ。

 出会ったのは彼が名古屋商大の学生だった1985年。やがて愛知県日進町(現日進市)にあった野球部合宿所に招かれるようになった。部屋には尊敬する王貞治さんのパネルやユニホームが掲げられていた。

 「プロになってホームランを量産し、野球で台湾と日本の架け橋になりたい」。大豊は夢を語った。公式戦で自分が放ったホームランボールもすべて飾っていた。

 本名は陳大豊。日本語読みでやじられず、親しまれるように身元引受人が「大豊泰昭」と名づけた。戦時中、台湾の国民には日本名を名乗らされた歴史的背景があり、家族らの了解をとりつけての措置だった。愛情が注がれたこの名前を大豊も気に入っていた。

 だが、やがて異国の地で大豊は傷つく。野球で結果を出すにつれ、対戦球団ファンのやじがきつくなった。筆者は広島球場で騒動を目撃したことがある。

 「やめろ、大豊!」。ベンチ裏通路から聞こえてくる怒声と、数本のバットが倒れる音。堪忍袋の緒が切れた大豊がスタンドに駆け上がろうとし、チームメートが必死に止めていたのだ。練習中から悪質なやじを飛ばしていた観客が大豊の打席ごとにネットにしがみついて罵声を浴びせたそうだ。後日会った彼は悲しそうだった。

 小学生の娘がいじめられたこともあったと聞いた。こちらは大豊の不振が理由。様子が気になり、校庭をのぞこうと近くの木に登ったそうだ。そんな怪しい大男が目立たないはずがない。すぐ子供たちに見つかり、大騒ぎになったという。

 「大豊だ、大豊だ、とみんなが集まってきちゃってね。それ以来いじめられることもなくなったよ」。うれしそうに話した顔が忘れられない。そうなのだ。世の中、話せば分かることも多い。

 日本で酸いも甘いも味わった大豊。台湾につながる海に遺骨をまいてほしいと願った気持ちはよく分かる。間違いなく君は架け橋になるために頑張ったと思う。これから少しはいい時代がくると信じたい。

 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ