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【コラム 人生流し打ち】

9月1日、民放第一声を発した男 CBC宇井昇のモテモテ破天荒人生

2019年9月1日 17時8分

宇井昇さん、2006年撮影

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 1951年9月1日、日本初の民間放送が第一声を発した。ラジオ局として名古屋に誕生した中部日本放送(CBC)。声の主は宇井昇さんだった。

 中日ドラゴンズが初の日本一に輝いた1954年の日本シリーズ最終戦。その実況アナウンサーを探していた筆者は、83歳の宇井さんにたどりついた。2006年である。そして、一発でこの人が好きになった。

 東京農工大時代に学徒出陣。戦後、大蔵省(財務省)の役人を経て、CBCのアナウンサーに。採用2人に対し、2000人以上が応募した難関だったそうだ。

 「戦地(中国)でNHKラジオの放送を聞いてね、あれが忘れられなかったんだよ」

 当時のアナウンサーは今以上のスター扱いで、めちゃくちゃモテたという。

 「オレのようなブ男がモテたんだよ。ホント、女性にモテましたねぇ。おれから口説いたことは一度もないんだけど」

 CBCの社史によると、女性ウケが採用基準にあった。宇井さんも女性のコメントを読むときは、マイクに絹のハンカチをそっとかぶせて声がやわらかくなるよう意識したという。

 人気者になったのはいいが、とんでもない事件に巻きこまれた。公開収録の場に、宇井さんと関係をもったという娘を連れた母親が乗り込んできた。

 「ところがね、娘が『お母さん、この人じゃない。こんなんじゃなくて、もっといい男だった』って言うんだよ。まいったね」

 ラジオの時代、ニセ者が出没していたのだ。大相撲中継のため出張していた東京から戻ると、見覚えのない請求書が名古屋・今池の飲み屋から会社に届いていたことも。

 「店で飲みながら張り込んでいたら、ノコノコとそいつがやってきた。宇井さんですか?と聞くと『そうだ』と言うから名刺を出したんだ。逃げ出すから追い掛けて『もう2度としません』と約束させたよ」

 もっとも宇井さんも、若気の至りで、いろいろやらかした。

 「おれ、昔から飲んべえでね。ある時、酔っぱらって店の看板を蹴飛ばして壊しちゃって、留置場にぶちこまれたことがあるんだ。放送がある時間だけ、頼み込んで出してもらって、放送が終わったらまた戻って」

 あのころで、本当によかったですね。

 59年にフリーになった宇井さんは、取材者としてもやり手だった。ドラゴンズの情報を取るため、合宿所がわりにしていた名古屋駅前の旅館に潜り込み、食事、風呂を共にしながらネタをとったのだそうだ。

 「ドラゴンズの話もいいけど、今度サンフランシスコ講和条約の話を聞いてくれよ。おれ、吉田茂首相の単独インタビューをしてるんだ」

 何度か酒を酌み交わしたが、その時は訪れなかった。2008年に宇井さんはアパート火災で亡くなってしまった。聞かなければと思っていた話がいっぱいある。心残りである。

中日の坪内道則選手(中央)と宇井昇さん(右から2人目)、1954年ごろ撮影

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