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【特選!レジェンド校】

「自考」「自助」で育つ 愛工大名電

2018年11月13日 紙面から

(上)倉野光生監督(右端)の話を聞く愛工大名電ナイン。昔も今もグラウンドでの練習中にはピリッとした緊張感が漂っている (下)選手が練習する「後藤淳記念球場」にはイチロー(上段右端)ら同校からプロに進んだ選手の写真パネルが飾られている(いずれも川越亮太撮影)

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 戦前から甲子園を沸かせた古豪ではないし、何度も全国優勝してきた名門校でもない。にもかかわらず、OBの活躍は他の古豪、名門、強豪校に引けを取らない。イチロー(45)=マリナーズ会長付特別補佐=ら多くの好選手を球界に送り出してきた愛工大名電(愛知)は、練習グラウンドに隣接する合宿所の存在が好素材輩出につながっている。 (文中敬称略)

猛練習ベースに

 名古屋の郊外を流れる庄内川。堤防沿いにあるグラウンドから数々のスター選手が巣立った。その代表格といえるのがイチロー。日米通算4367安打を放った男は、愛知県春日井市熊野町にある愛工大名電グラウンド、現在の「後藤淳記念球場」で礎を築いた。

倉野光生監督(60)

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 「名電の選手は高校の時に一生懸命甲子園に行こうとして、大学や社会人、プロに行ってからは高校の時に学んだベースを磨いて成果を残す選手が多いのです」と倉野光生監督(60)は語る。イチローはコーチ時代の教え子だ。では、そのベースをつくる源は何か? キーワードは「合宿所」だ。

 愛工大名電の選手は、入学してから3年夏の大会で敗れる時までグラウンドに隣接している合宿所で生活する。他校と違う大きな特徴は「野球は生活だ 生活が野球だ」というモットーの下、起床から消灯まで1年から3年まで約50人の全部員が同じ動きをすることだという。

柴田亮輔(31)=現フタバ産業軟式野球部監督=

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環境が風を生む

 「名電を言い表すなら合宿所が全て」と語るのは2005年センバツ優勝時の主将・柴田亮輔(31)=現フタバ産業軟式野球部監督、同。特別扱いはない。何が差を生むのか。OBが口をそろえるのは「自考」「自助」という言葉だ。

 1998年夏の甲子園に出場した時の捕手だった飯田庸資(38)=東芝インフラシステムズ勤務、同=は「環境が、自分でやるという風を生む」と分析する。合宿所とグラウンドは歩いて1分もかからない。室内練習場も完備。思い立ったら、すぐ自主練習ができる。

飯田庸資(38)=東芝インフラシステムズ勤務=

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 その環境を見て入部した飯田が、合宿所に漂う雰囲気を語る。「ライバルがずっといる。負けてはいられないとか思って、自主的にやるんです。われわれの年代も、その上の年代も、皆がやっていますね」。倉野監督もこう振り返る。「イチローはその選手像を高校の時からつくり上げていった。それは自ら考えてつくったんです」

 打ち込みや素振り、ウエートトレーニングのノルマを自らに課し、済まさない限りは1日の練習を終えなかったという。このエピソードは、今もしっかり語り継がれている。

<1>愛工大名電合宿所。ここでの生活が名電野球の源となっている<2>玄関にはイチローを描いた絵や「野球は生活だ生活が野球だ」と書かれた絵皿も<3>センバツの優勝旗や数々の賞状の前を洗濯物を持った野球部員が通るのはごく普通の光景だ

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判断力と柔軟性

 合宿所では、野球以外のことをすべて自らが行う。これも野球の上達に役立つ。生活を円滑にするためには周りに気を配り、求められることに気付かないといけない。この繰り返しが状況判断力と頭の柔軟性を養う。

 「周りを気にして、やることをやらないといけないということは常に思ってました」と柴田。培われた柔軟性は型にはめない指導でさらに強められる。倉野監督が語る。「一方通行で一つの方向に向かせても本物にならない。練習法や理論を高校で持たないと、将来通用しない。だから、徹底的に自分で考えてやっていけということです」

 そうやって数々の先輩も足跡を残した。その話を聞いて、後輩も同じようになれるかもしれないと考える。飯田が「一つの尺度があるのは大きいと思います。会わなくとも感じられる環境がいいのかも」と語れば、柴田も「自分で先輩の姿を学んだりして、気づく能力などが身についていくのかな」。伝統は今もしっかり受け継がれている。 (川越亮太)

合宿所のルーツは卓球部

 愛工大名電の合宿所は卓球がルーツだ。学校を経営する名古屋電気学園の初代理事長で、1971年の「ピンポン外交」の立役者としても知られる後藤●二(こうじ)は若いころ、自宅に卓球部員を泊まらせて鍛え、全国屈指の強豪に育て上げた。野球部はそのスタイルを取り入れているという。倉野監督は「名電の校技は今も卓球。卓球部を見習えというのが野球部の始まりなんです」と2つの球技の意外な関わりを教えてくれた。

●は金へんに甲

 ▼愛工大名電 1912年に創立された名古屋電気学講習所が運営母体の前身。高校は49年に名古屋電気として創立され、名古屋電気工などを経て83年から現校名。野球部は55年創部。甲子園出場は春9度、夏12度の計21度。春のセンバツは2005年に優勝し、04年は準優勝。夏の最高成績は81年の4強。主なOBは工藤公康(ソフトバンク監督)、山崎武司(元中日など)、イチロー、十亀剣(西武)、堂上直倫(中日)、東克樹(DeNA)ら。

「鉄球」が卒業生活躍の秘訣

東北高

2003年の夏の甲子園1回戦・筑陽学園戦で力投する東北のダルビッシュ有

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 米大リーグに3人の本格派投手を送り出すなど、東北(宮城)のOBは卒業後の活躍が目立つ。甲子園の成績では、特に近年は仙台育英と比べて劣勢とはいえ、その後の実績では県内のライバルを圧倒している。

 東北は投手出身の大物が多い。佐々木主浩(元横浜、マリナーズ)、斎藤隆(元楽天、ドジャースなど)、ダルビッシュ有(カブス)は日米両球界で活躍。打者の実績が光る嶋重宣(元広島、現西武コーチ)や雄平(ヤクルト)も、高校時代は左腕の豪腕投手として名をはせた。

加藤政義(現DeNAジュニアチーム監督)

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 好投手を多く生み出す理由は何か。ダルビッシュの1学年後輩で、日本ハムとDeNAで内野手としてプレーした加藤政義(現DeNAジュニアチーム監督)は、先輩投手陣の変わった練習方法にあるとみている。

 「ゴルフボールくらいの大きさの鉄球みたいなものを使った伝統的な練習があった。変化球の握りが上手になっていた」

 当時の若生正広監督(現埼玉栄高監督)は、選手の将来を見据えた指導で定評があった。「押しつけるようなことはなく、個人練習の時間を取ってくれた。伸びる選手は、そういう時間を有効活用していた」と加藤。佐々木を指導した竹田利秋(現国学院大総監督)も、目先の勝敗に一喜一憂しない監督だった。

 加藤が「うちは伝統的に投高打低のチーム」と言うように、今でも東北はエースを中心にしたチームづくりを踏襲している。継投策が主流になった現在、大黒柱がチームを支える強豪校の存在は貴重だ。 (堤誠人)

【プラスワン】甲子園での優勝経験と必ずしも一致しない

“名球会”の出身高

 プロ野球で日米通算を含め投手で200勝以上、打者で2000安打以上を記録した選手を複数輩出しているのは8校。このうち、熊本工、愛工大名電、阪南大高(大阪)は夏の甲子園大会で優勝経験がない。

 阪南大高は大鉄時代の1971年春にセンバツ準優勝、77年夏に4強入りするなど60〜70年代に豪快なチームカラーで甲子園を席巻した。愛工大名電も、名古屋電気の校名だった81年夏はエースの工藤公康ら、後にプロへ進んだ4選手を軸に甲子園で準決勝進出。ともに、個人の力量を前面に押し出して相手を圧倒する試合運びを得意としていた。

 また、複数の日本人大リーガーを輩出しているのは5校。PL学園(大阪)に次ぐ3人を米球界に送り出している東北は、投手の数が最も多い。甲子園大会での実績は2003年夏の準優勝が目立つ程度ながら、世界で通用する本格派投手を多く生み出す学校としては全国一と言えるかもしれない。

(次回は11月27日掲載)

 

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