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【特選!レジェンド校】

県岐阜商 栄光の歴史に左腕エースあり

2018年3月6日 紙面から

 県岐阜商の輝かしい歴史は、左腕エースによって築かれた。1950年代まで甲子園では春夏合計で優勝4度、準優勝6度。36年夏には松井栄造らの活躍で、昭和以降では2校目の初出場初優勝を達成した。スポーツ4紙合同企画「特選! レジェンド校」の第5回は、岐阜商時代の56年に春夏連続で甲子園準優勝だった時のエース・清沢忠彦さん(79)らの証言から同校の左腕の系譜をたどる。 (文中敬称略)

カーブを武器に

 県岐阜商が1987年夏の甲子園大会に出場した時のエースだった左腕の可児哲也は、入学したころに古いOBから聞かされた言葉が強く印象に残っている。「岐阜商は左の大投手が多い。左がエースの時は強いんだよ」。その言葉通り岐阜商、県岐阜商には球史に名を残す左腕投手が多い。

36年、大きなカーブを武器に初出場Vに貢献した松井栄造

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 全国に岐阜商の名を知らしめたのは松井栄造だ。流れるような美しい投球フォームで、縦に大きく割れるカーブを有効に使った技巧派左腕。打者は1メートル近くの落差を感じたようで、「三尺(1尺は約30センチ)」というあだ名が付いた。

 夏の甲子園は36年が初出場。愛知、岐阜、三重で代表の座を争っていた戦前は中京商(現中京大中京)、東邦商(現東邦)、愛知商など愛知県勢に阻まれ続けていた。だが、この年の岐阜商は「野球王国・東海」の名に恥じぬ戦いぶりで頂点まで駆け上がった。

 すでに2度のセンバツ優勝を経験していた松井は、左肩痛と腰痛の影響で2学年下の野村清との併用。それでも、準決勝の育英商(現育英=兵庫)戦と決勝の平安中(現龍谷大平安=京都)戦は、ともに1失点完投でエースの意地を見せた。

“伝説”がコーチ

 卒業後は早大で主力打者として活躍したが、残念ながら43年5月に中国戦線で戦死。ただ、松井は戦後も後輩の姿を見守り続けた。56年春から4季連続で甲子園のマウンドを踏み準優勝2度、8強2度と活躍した清沢は、当時の練習風景を次のように振り返る。

 「あのころは松井さんを見たという後援会の人がいっぱいいた。そして、私が投球練習を始めると集まってきて『松井はもっと足を上げとったな』などとしゃべり出す。今思えば、あれが私のコーチだった」

56年に春夏連続準優勝の清沢忠彦

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 研究熱心だった清沢は、11歳だった49年に来日したサンフランシスコ・シールズの試合を父と観戦。けん制の巧みな左腕投手に魅了された。完全な独学ながら右足の使い方に工夫をこらし、高校時代までに習得。56年夏の2回戦で対戦した早実(東京)の1番打者だった堀江康亘は「打者へ投げる時も一塁へ投げる時も、同じように右足を真上に上げていた。早実では相手の癖を頭に入れるように鍛えられていたが、本当に分かりづらかった」と振り返る。

 しかし、必殺技のけん制が最後の夏には敗因となった。57年夏の準々決勝で大宮(埼玉)と対戦。1−1の6回無死一塁で一塁へけん制球を投げると、帰塁しようとした走者と一塁手が交錯し、悪送球となった。走者を三塁に進められ、犠飛で失点。これが決勝点となり敗れた。

校長室での指導

 清沢が主に指導を受けたのが、和歌山中−早大で活躍した小川正太郎とOBの大島信雄だった。ともに左腕の甲子園優勝投手。大島は38年夏と39年春が準優勝で、40年春は全4試合を完封して優勝した。計36イニングで8安打しか許さない圧巻の投球。当時、プロの中日を引退した直後で野球評論家だった大島とは、周囲の視線を避けるため練習中に校長室で対面し「足を上げた時に肛門を開け」などと教えられた。

戦後の優勝なし

 冒頭の可児も、1回戦では広島商との古豪対決に3安打10奪三振で完封した。現在はバックネットやゲージの設置、販売を行うJSGに勤める傍ら、少年野球を指導している可児は「当時、名古屋に転勤されていた清沢さんからは毎週末に指導してもらった。厳しい方だが愛情がこもっていた。清沢さんに教えてもらったけん制を、今はボーイズリーグの小中学生に教えている」と伝統の継承役となっている。

 近年の成績は振るわない。これまで、春夏合計で4度以上の優勝経験があるのは計13校。そのうち、戦後に優勝がないのは県岐阜商だけだ。可児を最後に、県岐阜商が左腕エースを擁して夏の甲子園に出たこともない。歴史をよみがえらせる左腕エースの出現が待たれる。 (堤誠人)

学業優秀で美男子 女性ファンも多く

松井栄造

 松井栄造は、東海地区の有力校による争奪戦の末に岐阜商へ進んだ。元城小高等科1年の時、浜松市の松井家には中京商をはじめ東邦商、享栄商、島田商などが日参。岐阜商は同窓会の幹部で野球部後援会会長だった遠藤健三が、松井の父・半次郎を「大学卒業まで責任を持ってわが子同様に育て、人として立派に成長させます」と口説き、熱意にほだされた半次郎が岐阜商に進学させた。学業優秀で、早大時代には小説家の尾崎一雄とも交流。目鼻立ちがはっきりした美男子で、当時は珍しかった女性ファンも多かったという。

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 ▼清沢忠彦(きよさわ・ただひこ) 1938(昭和13)年4月24日生まれ、福岡県出身の79歳。朝鮮半島北部で終戦を迎え、帰国後は父の転勤などで福岡、大阪などを転々とし、中学2年で岐阜へ。岐阜商では甲子園に春夏計4度出場し、3年夏の津島商工(愛知)戦では無安打無得点試合を達成した。慶大では3年秋の「早慶6連戦」で4試合に登板するなどエース格として活躍。住友金属では65、66年に都市対抗大会で2年連続準優勝。71年からは甲子園大会の審判員を19年間務めた。

 ▼県岐阜商 1904年に市立岐阜商業学校として開校し、戦後の統合や再編などを経て51年に県立岐阜商高として再発足した。野球部は25年創部。夏の甲子園大会は初出場だった36年に優勝し、春のセンバツも33、35、40年に優勝。準優勝は春夏3度ずつ。通算勝利数は夏が歴代8位の39勝、春が同3位タイの48勝で、春夏通算では同4位の87勝。主なOBは高木守道(元中日監督)、和田一浩(元中日など)、石原慶幸(広島)、三上朋也(DeNA)ら。シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子も卒業生。

無欲でつかんだ桜美林の奇跡

初出場で優勝し優勝旗を持つ片桐主将を先頭に甲子園を一周する桜美林ナイン。左から3人目がエースの松本

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 1976年の第58回大会。夏の甲子園に初出場する桜美林(西東京)の選手らを乗せたバスを学校で見送ったのは、社会科教諭夫妻の2人だけ。まるで期待されていなかったチームが、約3週間後に全国の頂点に立つのだから分からない。

 ただ、年が明けてからは練習試合を含めても負けたのは春の東京都大会決勝の日大二戦だけ。春の関東王者でもあり、主将だった片桐幸宏(現同校野球部長)は「勝てるとは思わなかったが負ける気もしなかった。甲子園では、そういう気持ちがどんどん強くなっていった」と振り返る。

 初出場とはいえ緊張は全く感じなかった。入部時の60数人から厳しい練習を耐え抜いた8人の3年生部員は、団結が強かった。初戦の2回戦は「1度は勝って、本塁のところで並んで校歌を歌いたいよな」。3回戦は「勝ってベスト8に入れば佐賀国体に行けるぞ」。こんな調子で接戦を次々とものにしていった。

 4日連戦となった決勝のPL学園(大阪)戦は、延長11回サヨナラ勝ちで関東勢3連覇を達成。疲れがピークだったエースの松本吉啓(現千葉経大付監督)は「決めてくれと思った。これ以上投げるのはしんどかった」と安堵(あんど)し、片桐は「甲子園は本当に楽しかった。もう野球ができないのか、という思いもあったくらい」と少し感傷的になっていた。

 決勝翌日は、なぜか帰京せず京都観光となった。「日曜日で、東京都庁での凱旋(がいせん)行事ができないから。全員疲れ切っていたので、バスガイドさんから『こんなに元気がないのによく優勝できたね』と言われた」と松本は苦笑する。

 月曜日に新幹線で東京へ。東京駅では「有名な芸能人がいるのかと思った」と片桐が驚くほどの出迎えだった。出発時とは見事に対照的。今は禁止されている優勝パレードで紙吹雪を浴びたのも懐かしい思い出だ。

【プラスワン】高校野球史に残る「旋風」は99%無理?

初出場&初優勝

 夏の選手権大会に初出場で優勝したのは計15校。米騒動で中止となった1918年を除き、翌19年までは初出場校の優勝が続いた。豊中と鳴尾で開催された23年までは、第1回を含めて半数以上が初出場だったので当然かもしれない。

 甲子園球場が完成した24年以降の初出場初優勝は10校で、春夏通じて初出場だったのは湘南、三池工、桐蔭学園。創部6年目ながら強豪校OBの監督を招くなど、野球部強化に力を入れていた桐蔭学園の優勝に意外さは少なかった。一方、全く無名ながら1戦ごとに勢いを増し、力をつけていった湘南と三池工は「旋風」として高校野球史に残っている。

 今後、桜美林や湘南、三池工のようにあっと驚く初出場初優勝はあるのか。千葉経大付を率いる松本吉啓は「一人だけとんでもない選手がいても勝てないのが野球。私たちのころの桜美林のように特待生もなく、ほとんどが自宅から通う仲間だけで優勝するのは99%無理だと思う。甲子園に出ることさえ難しいのではないか」と悲観的だ。

(次回は3月13日掲載)

 

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