トップ > 中日スポーツ > スポーツ > KOSHIEN新世紀 > 記事

ここから本文

【KOSHIEN新世紀】

甲子園が熱狂した強豪校(1) 早実・王貞治 予想を上回る力

2015年10月6日 紙面から

昭和32年8月の全国高校野球選手権、早実の投手としてマウンドを踏む王貞治=甲子園球場で

写真

 今夏の甲子園で、100年ぶりの旋風が巻き起こった。1915年の第1回大会で4強入りした早実(西東京)が、29度目の夏でも4強。王貞治、荒木大輔、斎藤佑樹らが甲子園の主役となった伝統を受け継ぎ、今夏は1年生スラッガー清宮幸太郎が注目された。高校野球ファンに愛される「早実」について、今夏の開幕試合で始球式を務めた王に聞いた。 (文中敬称略)

親子三代での応援も

 王が開幕試合で始球式を務めた今夏は、個性的な選手たちの活躍で盛り上がった。開幕前から最も注目されたのは、1年生スラッガーの清宮が中軸に座る早実だった。

 王「(甲子園で)100年の歴史がある学校というのはなかなかないし、『早稲田』という名前にも親しんでもらっている。僕の時代、荒木の時代、斎藤の時代、清宮がいた今年。僕の前にも榎本(喜八)さんたちがいた。親子三代で早実のファンという方もいるぐらいだからね」

 王が2年生エースとして臨んだ1957(昭和32)年のセンバツでは、左手指のまめをつぶしながら「血染めのボール」で優勝。80年夏は1年生エース荒木を擁して準優勝し、2006年夏は斎藤の快投で初優勝。4強に進んだ今夏も含め、王は早実の快進撃には共通項があるという。

 王「今年、斎藤、荒木、そして僕のときも戦前の予想とは全然違った。予想以上の活躍というか、予想以上の戦いをするんで、ファンもびっくりして見てしまうんでしょう。僕のときは(選抜の優勝旗が)箱根の山を越えたことがそれまでなかったからね」

 超高校級左腕として甲子園の主役となった王は、強打でも注目された。58年センバツでは2試合連続本塁打を放ち、後に「世界の本塁打王」となる片りんを見せた。

 王「(自身の)あの年代は投高打低だったし、ホームランの数も少なかった。一つの大会で10本も出なかったんじゃないかな。僕は3年の春に2本打ったけど、左打者がレフトに打ったって驚かれたよ」

明治に敗れてプロへ

 甲子園の土を踏むたびに高まった王と早実の人気。58年の東京大会決勝は神宮球場に3万人の大観衆が集まったが、明治に延長で逆転負け。5季連続出場を逃した。甲子園に出発する明治ナインを東京駅で見送ったエピソードは有名だ。

 王「(明治戦の敗戦は)ショックだった。そのまま勝っていれば、プロに行かずに大学に行ったんじゃないかな。(見送りは)当時の部長先生が『東京代表のチームを送ろう』ということでね。いい方に解釈してもらえるのは早実の伝統なのかもしれないね」

 東京を代表する伝統校として甲子園で長い歴史を刻んできた早実は、都会的で洗練されたイメージがあるが、王の記憶にあるイメージは違う。

畑の中での「猛練習」

 王「僕たちは(学校があった)早稲田から電車で30分かかるようなところ(武蔵関グラウンド、東京都練馬区)で練習していたから、普段は東京のチームって感じはしないよ。畑の中の野球場で練習やって真っ黒でさ。土日は遠征ばかりでね。同じ早実でも違う部の人とは、かけ離れていた感じだったもんね」

 もっとも、王のころから早実は高校野球の最先端を走っていた。当時の総監督が米国野球に詳しく、本場の情報を研究していたからだという。

 王「情報が少ない時代だったが、セーフティースクイズなどもいち早く取り入れていた。戦法や野球の進め方などは随分先を行っていたんじゃないかな。早実に入ったことで4度甲子園に行けたし、あそこまでやらなかったら、プロにもつながっていない」

 王の後も早実は甲子園のヒーローを輩出した。荒木は「大ちゃんフィーバー」を起こし、斎藤は「ハンカチ王子」。ともにアイドル的な人気を誇った。そして今年は「清宮フィーバー」に大いに沸いた。

 王「荒木は5度甲子園に出て、若い女性にすごい人気があった。斎藤も全国制覇したし、清宮も準決勝までいったからね。ファンは伝統だけでなく、意外性も求めている。清宮という新しい存在がいた今年は、その両方があったのかな」

清宮「順調に伸びて」

 王は早実からプロ入りし、打者として大成した。1年生ながら、U−18(18歳以下)日本代表に選ばれた清宮には「王2世」の期待がかかる。

 王「お父さん(ラグビー・ヤマハ発動機監督の克幸)も厳しいし、早実ということで本人も自分の立場を理解している。ああいうヒーローが出てくると、高校野球界だけでなく野球界全体が話題になる。ヒーローはみんなが望んでいるけど、作れないからね。順調に伸びてほしい」

 王、荒木、斎藤、そして清宮。これほど多くの世代で甲子園を沸かせたチームは少ない。これからも高校野球ファンは胸の「WASEDA」の文字に胸をときめかせ続けることだろう。 (相島聡司、前田泰子)

済々黌、池田、駒苫…立ちふさがった強敵たち

(左)1980年 夏 準優勝 荒木大輔(中)2006年 夏 優勝 斎藤佑樹 (右)2015年 夏 ベスト4 清宮幸太郎

写真

58年春「打倒王」達成

 早実には名勝負を演じる強敵がいた。絶対的な優勝候補だった1958年センバツで「打倒王」を果たし、優勝したのは済々黌(熊本)だった。「早実は前年優勝校。見上げるような感じだった」。主将だった末次義久は振り返る。

 1番・遊撃手だった末次が驚いたのは、王の投球より打球だった。「最初の打席は二遊間のゴロ。簡単に捕れると思ったら、打球が速くて内野安打になった」。4回には2ランも打たれた。

82年夏やまびこ猛威

 荒木のときには池田(徳島)が立ちふさがった。荒木にとって5度目にして最後の甲子園。球場通路で向かい合わせたときのことを、遊撃手の山口博史は覚えている。「みんなで握手を求めましたよ。対戦が決まった時は、勝つと思ってなかったから海の家を予約したし」。しかし、準々決勝では14得点と荒木を打ち砕いた。山口も3安打。やまびこ打線は一気に頂点へと駆け上がった。

06年夏ハンカチ旋風

 斎藤との名勝負は田中将大(現ヤンキース)を擁した駒大苫小牧(南北海道)。監督だった香田誉士史(現西部ガスコーチ)は「ハンカチ王子」に屈した2006年夏の決勝をこう語った。

 「斎藤は再試合も表情を変えずに投げていた。高校野球の監督として対戦した投手の中でも最高の投手だった」

 斎藤の投球とともに香田の印象に残っているのは早実の応援だった。「地響きがする感じ。『ワセダ』という見えない力を感じた」。これが早実のすごさであり、魅力なのだろう。

 【早実】 1901年開校。正式な校名は「早稲田大学系属早稲田実業学校高等部」。一時的に早大傘下から独立したが、63年に復帰した。甲子園は春が出場20度で優勝、準優勝が各1度。夏は出場29度で優勝1度、準優勝2度。通算成績は春が22勝19敗、夏が43勝28敗。主なOBは王会長のほか、荒木大輔(元ヤクルトなど)、斎藤佑樹(日本ハム)ら。2001年に東京都新宿区早稲田から国分寺市本町1−2−1に移転した。02年から男女共学。野球部は04年夏に完成した専用の「王貞治記念グラウンド」(東京都八王子市)で練習する。

 ▼王貞治(おう・さだはる) 1940(昭和15)年5月20日生まれ、東京都出身の75歳。早実では甲子園に1年夏から4季連続出場し、2年センバツで優勝。59年に巨人に入団して本塁打王15度、三冠王2度。77年に初の国民栄誉賞。通算868本塁打。84〜88年まで巨人、95〜2008年までダイエーとソフトバンクの監督。94年野球殿堂入り。06年にWBC日本代表監督で世界一。現ソフトバンク球団会長。

【へぇ〜】ライバル・慶応は東京勢初の全国制覇校

第2回大会で優勝した慶応ナイン。中央が山口昇

写真

 早稲田といえば慶応。現在の高校は西東京と神奈川に分かれているが、以前は同じ東京でしのぎを削った。全国大会は第1回出場の早実が先んじたが、全国制覇は1916(大正5)年夏の第2回の慶応普通部が先だ。

 エース兼主将の山口昇の経歴は興味深い。まず在籍していたのは「慶応商工」。「普通部」との合同チームで出場した。さらに「大学野球」にデビュー済みで、レギュラーとして活躍していた。現在ではあり得ないが、当時のルールでは「慶応全体を代表する選手」なら、大学野球に出場できたのだ。

 慶大中退後の人生も波瀾(はらん)万丈だ。台湾での社会人野球をへて、実業家に転身。輸入車の販売を手掛けていた。その手腕を豊田喜一郎に見込まれ、トヨタ初のディーラーになった。「日本に自動車産業を興す」というおとこ気に惚れ、愛知トヨタを創業。「トヨタ車の第1号(G1型トラック)を売った男」として広く知られ、その生き様は小説化、さらに「リーダーズ」としてドラマ化されたほどだ。

 現在の愛知トヨタ社長・山口真史は3代目にあたる。幼いころに昇は他界したが、その思いは社内に受け継がれている。

 「祖父の言葉として『オレの人生は9回2死満塁ばかりだった』というものがあります。人生も野球も、どんな逆境であっても逆転がある。野球から学んだことは多かったと思います」

 この不屈の闘志は、少年期に打ち込んだ野球で培われたのだ。

 ◆お知らせ KOSHIEN新世紀では、高校野球ファンの皆さまにアンケートを行っています。項目は(1)過去最強チームはどこか(2)歴史に残る名勝負は?(3)好きな高校球児の3点です。結果を集計、分析して11月24日付紙面で記事化します。はがきに〒住所、氏名、年齢、職業、電話番号とアンケートのそれぞれの答えを明記し、〒460 8511 中日スポーツ「KOSHIEN新世紀アンケート」係まで。メール(nsupo@chunichi.co.jp)でも受け付けます。ご協力よろしくお願いします。

(次回は10月27日掲載)

 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ