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【KOSHIEN新世紀】

息詰まる投手戦の系譜  

2015年9月8日 紙面から

33年夏・中京商−明石 吉田正男 魂の336球

2回戦の対浪華商戦、左目の上を縫う裂傷にめげず、好投した中京商の吉田正男=1933年8月、甲子園で

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 果てしなく続くゼロ行進…。甲子園の名勝負には延長戦と投手戦は欠かせない。史上最長の25回を戦ったのが、1933(昭和8)年夏の第19回。中京商(愛知、現中京大中京)−明石(兵庫)の準決勝だ。58(昭和33)年夏の第40回では、徳島商−魚津(富山)が延長18回引き分け再試合の適用第1号。その熱戦譜を追った。 =文中敬称略

相手投手も247球

 この先、新たに100年の歴史が紡がれようとも、この記録が破られることはあるまい。33年夏の準決勝。中京商−明石は延長25回、4時間55分の死闘となった。中京商の吉田正男は336球、明石の中田武雄は247球をそれぞれ1人で投げきった。

 9回までは互いに1安打。すでに大会2連覇を果たしていた吉田はともかく、中田の好投は周囲を驚かせたはずだ。当時の明石には豪腕の楠本保がいたからだ。実際、この年のセンバツでは準々決勝で沢村栄治(京都商)に投げ勝ち、準決勝は中京商を1−0で破っている。ところが楠本は脚気を患っており、体調不良で登板できなかった(右翼手として出場)。代わって登板した4年生左腕・中田のカーブを打ちあぐねた。

夏の甲子園大会、明石−中京商、延長25回を戦ったスコアボード=1933年8月、甲子園で

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2度目無死満塁

 中京商は9回に初安打を足掛かりに無死満塁の絶好機を得たが、投直が併殺になる不運もあり逸機。10回から16回までは再び無安打に抑えられた。

 ここから先はスコアボードが尽き、係員が急きょ継ぎ足したボードが伸びていった。決着は失策でついた。四球とバント安打、犠打野選で無死満塁。二塁への当たり損ねのゴロが、二塁手の本塁悪送球を誘ってようやく試合は終わった。

 当時は延長イニングの規定はなかったが、照明もなかった。この試合を裁いた雨宮義信は25回をもって引き分けを宣告すると決めていた。「なぜなら外野席でマッチをする薄明かりが蛍火のように見え始めていたから」(全国高等学校野球選手権大会史)。つまり日没である。

1933年8月19日の明石−中京商戦延長25回の試合を再現、マウンドで投げる吉田正男=1989年4月9日、明石公園野球場で

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不滅の夏3連覇

 中京商は翌日の平安との決勝戦も制し、100年の歴史でたった1校しかない3連覇を成し遂げた。その立役者である吉田は、明大、藤倉電線をへて64年から中日スポーツで健筆をふるった。「お父さん」と慕われ、同僚や後輩に自分から自慢話をひけらかすようなことはなかった。それでも編集局で語り継がれている逸話はある。

 「明石は砂糖水を飲んでいたが、中京はレモンをかじっていた。水を飲むなと言われていた時代だったからでしょうね。『勝った瞬間はどうだったんですか』って聞いたんですが、試合が終わったという気持ちだけだったとも…。疲れていたんでしょう。ランナーに出た時なんて『オレは走らんから無駄なけん制球なんて投げるなって伝えてこい』って一塁手に言ったそうですから」

 こう話すのは「月刊ドラゴンズ」編集長の増田護。新人時代に吉田から取材の手ほどきを受けた。まともに水分すら取らず、25イニングを投げ抜いたのだ。しかも吉田は手負いだった。2回戦の浪華商(大阪)戦で、味方の送球が左目の上に当たり流血。試合を中断し、3針縫う応急処置だけでマウンドへ戻った。増田にも「ある意味、あの試合よりきつかったのは2回戦だったかもしれない」と語ったほどの危機だった。

半世紀後親睦会

 半世紀を経た83年に、両校のメンバーで「熱球会」という親睦会が誕生した。その4年後には両校がそろって夏の甲子園にも出場した。しかし、2008年6月。悪送球をした明石の二塁手・嘉藤栄吉を最後に、メンバーは全員旅立った。『延長25回』(神戸新聞社編、松本大輔著)によると、生前の嘉藤は「なぜ、私のところに最後のボールが飛んできたのか」と自問を繰り返した。たどり着いた答えは「一番、弱い人間のところにボールが飛んできたんだよ」だった。嘉藤は弱さを知っている強い人間だった。大学野球では今も根強い支持を得ている準硬式に使用する「トップボール」は、嘉藤が開発したものだ。嘉藤が生涯、失策と向き合い、野球を愛し続けた証しだと思う。

 82年前の熱戦は、今後も語り継がれるだろう。だが、同時に忘れてはならないのは楠本、中田ら両校合わせて8人もの若者が、戦火に散ったということだ。 (渋谷真)

第40回全国選手権大会準々決勝の魚津戦が打ち切り規定で再試合となり、2日間にわたり投げ抜くことになった徳島商の板東英二=1958年8月17日、甲子園球場で

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58年夏・徳島商−魚津 坂東英二

「延長18回引き分け再試合」適用第1号 まだ投げるつもりだった

 100年の歴史で4度ある「延長18回引き分け再試合」。その第1号は徳島商−魚津の準々決勝だ。徳島商のエースは板東英二。村椿輝雄との壮絶な投げ合いも、当事者に言わせると…。

 「僕はそんなルール知りませんでしたからね。まだ投げるつもりでおったら、審判に『あしたも頑張れ』と。何のことかわかりませんでした」

 第4試合だったため、途中から点灯試合に。高校生は不慣れだった上に、当時の照明は「薄暗かった」。打者は球が見づらく、両チームとも凡退を続けた。板東の球種はストレートのみ。この試合で25。計6試合で奪った83三振が今も最多記録として残る四国の豪腕には、村椿はどう映ったのか。

 「とにかくひ弱そうでした。四国にはあんなピッチャーはいなかった。強豪ほど打てない。先っぽばかりでした。でも、彼のおかげで僕の名前が残っているわけですからね」。熱戦から50年後の7年前に再会したときも、この話題で盛り上がったそうだ。

 当時は常識だったスパルタ式の猛練習が肌に合わず、板東は2度退部届を出している。説得されてとどまったが、冬が明けるとメンバーはとうとう8人に減り、野球未経験のマネジャーを急きょ選手にした。守備位置は三塁。「板東の球は引っ張れない」からだった。

 甲子園に来ても「おまえは力むから」と球場入り前に300球、球場入り後にさらに100球投げてから試合に臨んでいた。「あれがなければ柳井(山口、決勝戦)にも負けてなかったかも」と言う板東は、それでも「甲子園は楽でした。氷水が飲めたから」と当時の苦しさを振り返った。

 「嫌々、野球をやってました。ただただ、しんどかった。(よかったのは)今でも付き合いのある友だちが2人できたことくらいですね」

 57年前の記憶を、美談には仕立てず本音で語る板東。実は適用も第1号だが「引き分け再試合」ルールのきっかけも板東だった。その年の春季四国大会で、2日間で延長16回と25回。もちろん1人で投げきった。これが高野連を動かした。そして現在。18回は15回になり、タイブレーク制導入の動きも加速している。これについてぜひとも板東の意見を聞いてみたかった。

 「僕はタイブレークは大反対です。やっている高校生はそれを望んでいますか? 決着がつくまでやればいいんです。疲れて負けるのも野球。そこまでやっているからこそ、見ている人は感動する。(今の高校野球は)まるでプロの養成所。開会式を大々的にやる費用があるのなら、それを各県にトレーナーを置くために使えばいいんです」

 自分が強いられた血へどを吐く猛練習も、安易な健康第一主義も板東は「非」と言い切る。そこには高校野球の主役は誰なんだという、強い問い掛けがある。

 ▼板東英二(ばんどう・えいじ) 1940(昭和15)年4月5日、旧満州(中国東北部)生まれの75歳。5歳で徳島に移住した。徳島商から59年に中日に入団し、11年間で通算435試合で77勝65敗、防御率2.89。球宴に3度出場した。69年の引退後はタレント、野球評論家として活動する。

【へぇ〜】1978年以降禁止となった三塁ベース付近での高松商「志摩供養」

儀式、合言葉色々 一時復活も再び禁止通達

 高校野球では、特色のある儀式や合言葉で、チームの意思統一を図ることがある。

 この夏の甲子園でいえば、健大高崎(群馬)の「機動破壊」というスローガンはすっかりおなじみだ。また鳥羽(京都)は甲子園見学でグラウンドに出る際、全員が一列で正座して頭を下げる姿が話題になった。

 古豪・高松商には「志摩供養」という儀式が受け継がれてきた。

 1924(大正13)年、第1回センバツ優勝時のメンバーだった志摩定一が同年冬に、胸の病気で死去。その際に「自分は死んでも、魂は高松商の三塁を守る」という言葉を残したとされる。

 これを受けて39年以降、初回の守備時にナインが志摩が守っていた三塁周辺に集まり、主将がベースに水を吹きかけてきた。

 ただ、この「志摩供養」にストップがかかったのが78年。日本高野連から遅延や宗教的な行為に映るという理由で禁じられた。前監督の黒坂李央が11年夏の県大会で復活させ、シートノックの後に行ったがやはり禁止通達を受け、現在は絶えている。

 ◆お知らせ KOSHIEN新世紀では、高校野球ファンの皆さまにアンケートを行います。項目は(1)過去最強チームはどこか(2)歴史に残る名勝負は?(3)好きな高校球児の3点です。結果を集計、分析して秋をめどに記事化する予定です。

 はがきに〒住所、氏名、年齢、職業、電話番号とアンケートのそれぞれの答えを明記し、〒460 8511 中日スポーツ「KOSHIEN新世紀アンケート」係まで。メール(nsupo@chunichi.co.jp)でも受け付けます。ご協力よろしくお願いします。

(次回は9月22日掲載)

 

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