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【スポーツ史 平成物語】

サンデーサイレンスの衝撃 1頭の種牡馬が日本競馬を変えた

2019年4月11日 紙面から

スペシャルウィークやマンハッタンカフェなどの名馬を出した名種牡馬

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第11部 中央競馬編(2)

 中央競馬編2回目は、平成6(1994)年に産駒(子)がデビューして以来、日本競走馬の血統図を塗り替え、一大勢力を築いている種牡馬サンデーサイレンス(SS)の業績を振り返る。JRAが「海外で通用する強い馬づくり」を目標に、競馬の国際化を掲げてから20年後の平成13(2001)年、SS産駒ステイゴールドが「香港ヴァーズ」で日本産馬初の海外GI優勝。以降、日本産馬の海外挑戦の気運を高めた。種牡馬の晩年には、GI7勝馬ディープインパクトが出現。産駒が種牡馬となって2世も活躍、SSの血を広めている。

 新しい時代の扉が開いた。平成6(1994)年の札幌新馬戦。キタサンサイレンスが2番手から抜け出してレースを制した。サンデーサイレンス(SS)産駒の初勝利。数々の名馬を送り出し、日本競馬のレベルアップに大きく貢献した種牡馬は、米国で見いだされた。

 平成元(1989)年のケンタッキーダービーと、プリークネスSを勝ったクラシック2冠馬SSを日本に導入したのは、日本の競走馬生産界のガリバーである社台グループを創設した吉田善哉さん(故人)。交渉に当たった長男の照哉社台ファーム代表(71)=当時、同千歳牧場長=はSSを見るため、その年の米国「ブリーダーズCクラシック」を観戦した。

サンデーサイレンスケンタッキー・ダービーを制したサンデーサイレンス(右)=89年5月(AP・共同)

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 「体のしなやかさとバネが違う。人間で言うなら、絶対的なスピードが違う黒人ランナーの体の使い方だった」と印象を語る。3歳馬には不利とされるレースで古馬相手に勝った内容にほれ込んだ。

 日本へやってくるまでの巡り合わせは奇跡の連続だった。まずは出生。「数年受胎しなかった」という母がようやく産んだ子だった。だが、見た目は貧弱で、後脚が内側に曲がっていた。2歳時に馬運車が事故で横転し、重傷を負った。他馬は死んだが、SSは助かった。そのような出自で買い手がつかず、4人が共同で所有した。そのうちの1人と照哉代表が旧知の仲で、共同所有者に加わり、引退後、米国で種牡馬になったときの権利を得た。

 平成2(1990)年に引退が決まり、その血を求める生産者を募ったが、申し込みはたった2件。あまりの不人気ぶりに「日本で買ってほしい」という話になり、社台グループが購入した。照哉代表は「うちとしてはほれ込んでいた馬。でも、米国の生産者には、SSの母馬に血統的な魅力がないと捉えられたようだ」と分析する。

平成6年、朝日杯3歳Sを制したフジキセキ

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 超一流の成績を残したことで、日本では注目された。「この馬が日本に来るなんて、奇跡の奇跡みたいなもの。米国で見限られて日本にやって来たケンタッキーダービー馬はいたが、引退直後は初のケースだった」と話す。

 社台グループでは1年目に血統の良い繁殖牝馬約30頭を花嫁に選んだ。「誰か中心になってやる人がいないと種牡馬は成功しない」。その信念の下、SSに賭けた。

 翌年誕生した子どもたちは、父の特徴である体の柔らかさを受け継いでいた。デビューは平成6(1994)年。フジキセキがその年の朝日杯3歳Sで産駒として初のGI勝ち。主戦騎手を務めた角田晃一調教師(48)は「とても乗り味のいい馬だった。日本の競馬が変わっていく」という予感を抱いた。翌年ジェニュインが皐月賞、タヤスツヨシが日本ダービーを勝ち、旋風を巻き起こした。

 産駒は平成12(2000)年までにクラシック5レースをすべて制覇。産駒の獲得賞金順位は平成7年から13年連続1位、母の父としての同順位は平成18年から昨年まで13年連続で1位だ。

 中でも最高傑作は平成17(2005)年の三冠馬ディープインパクトだ。主戦だった武豊はその走りを「飛ぶ」と表現。「本当に次元が違う走りをしていた。SSは日本競馬のレベルアップにものすごく大きかった」と証言する。

余裕の差し切りで7冠を達成したディープインパクト(4)=中山競馬場で(長井愛佳撮影)

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 照哉代表は「世界の中で一番いい種牡馬だと思う。(世界に血を広めた)ノーザンダンサー(カナダ産)やミスタープロスペクター(米国産)と比較しても遜色ない。日本馬が海外でGIを勝てるレベルになったのはSSがいたから」と断言する。3月20日にジャパン・スタッドブック・インターナショナルが発表した種牡馬名簿では、日本でSSの血を引く種牡馬は85頭。日本のサラブレッド系種牡馬の33.5%を占める一大勢力となった。中でもディープインパクトは4頭の日本ダービー馬を輩出、ステイゴールドは平成23年の三冠馬オルフェーヴル、障害王者オジュウチョウサンなどを輩出した。海外で種牡馬となって、その産駒でGI勝ち馬も出ており、世界にも血を広げている。

 「SSが米国にいたら、いい繁殖牝馬に恵まれず、サポートがなく埋もれたかも。SSにとっても日本に来て良かったのでは」と照哉代表。今、SSに言葉を掛けるとしたらと聞くと「よくぞ日本に来てくれた」と言ってほほ笑んだ。

 ダービー馬スペシャルウィーク、オークス馬ダンスパートナーなど、数多くのSS産駒の名馬を育てた白井寿昭元調教師(74)は、血を伝えていく作業に深く関わった一人だ。今をときめくアーモンドアイの母フサイチパンドラもSS産駒で管理した馬だ。

父ディープインパクト、母スタセリタの2017年度産駒とともに吉田照哉さん=北海道千歳市東丘の社台ファームで(高橋知子撮影)

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 「日本では異質の種牡馬と言っていいのかもしれません。テスコボーイに代表されるプリンスリーギフト系など、(芝適性のある)欧州重視の傾向が強かった時代に異なるアプローチをされたのが、吉田善哉さんでした。新しい血を探し求めて米国に目を向けられましたが、その先にSSがいた、ということだと思います」と血統から背景を分析する。SSのレースを観戦したことがありしなやかな走りが印象に残ったという。「SSを基礎にした母系にまた新しい種牡馬が配合されて、山を登っていくということになるのでしょう」と子孫たちに受け継がれていく未来を見据えた。

 サンデーサイレンス系の馬が活躍する中、平成16(2004)年の日本ダービー馬キングカメハメハの血統の馬も活躍している。同馬の産駒としては平成22年の牝馬三冠馬アパパネ、短距離GIを6勝したロードカナロア、同27年の2冠馬ドゥラメンテ、同29年日本ダービー馬レイデオロなどを輩出。さらにロードカナロアは種牡馬となって、昨年の牝馬三冠馬でGI5勝馬のアーモンドアイを輩出。血統の広がりを見せている。

 サンデーサイレンス(1986年3月25日〜2002年8月19日) 父ヘイロー、母ウィッシングウェル(母の父アンダースタンディング)▽青鹿毛▽通算成績14戦9勝2着5回▽主な勝ち鞍・ケンタッキーダービー、プリークネスS、ブリーダーズCクラシック、1989年米国年度代表馬

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