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【スポーツ史 平成物語】

魁皇誇りの金字塔 空前のブームをけん引した「花のロクサン組」

2019年2月14日 紙面から

平成6年春場所、曙を押し出しで破り、初金星を挙げた魁皇=大阪府立体育会館で

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第9部 大相撲編(2)

 平成の初期、若花田(のち若ノ花、若乃花)と貴花田(のち貴ノ花、貴乃花)の兄弟を中心に空前の相撲ブームが起こった。曙を加えたのちの3横綱は、いずれも1988(昭和63)年春場所に初土俵を踏んだ同期だ。そして、もう一人。幕内在位通算107場所の歴代最多記録を持つ元大関魁皇の浅香山親方(46)も、昭和63年春場所にデビューした「花のロクサン組」。怪力自慢の名大関が、3人の背中を追った「若貴ブーム」のころを振り返る。

 「花のロクサン組」は、後の3横綱だけじゃない。1994(平成6)年春場所8日目。西前頭筆頭まで番付を上げた21歳の魁皇が、横綱初挑戦となった結びの一番で同期の曙を押し出して初金星。黄金世代の主役の一人として、力強く名乗りを上げた。

 「若貴ブーム」を巻き起こした若ノ花、貴ノ花の兄弟はすでに大関。曙はその2人を追い越し、一人横綱として番付の頂点に君臨していた。同期入門とはいえ、「ライバルという感じではなかった。目標だった」との言葉通り、浅香山親方はひたすら3人の背中を追ってきた。

横綱初挑戦で曙を破った一番などを振り返る浅香山親方=東京都墨田区で(志村拓撮影)

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 「若貴といえば、角界に入る前からテレビに出ていた存在。経験値、やってきたことが全然違った。こっちは相撲のど素人だけど、向こうは教習所で指導員の三段目と稽古をやって、普通に勝っちゃうんだもん。曙も、相撲経験がなくても強い強い。あの3人と教習所で相撲を取るチャンスはなかった」

 だからこそ、初めて同期の3人を含めた上位と総当たりする場所は、心身とも充実していた。初日に若ノ花を寄り切ると、勢いに乗って白星先行。しかし、5勝1敗で迎えた7日目に落とし穴が待っていた。

 関脇琴錦を寄り倒して6勝目を挙げたものの、土俵際でもつれて右臀部(でんぶ)を俵に強打。全く動けず、車いすで救急車に乗せられ、病院送りとなってしまった。

 骨に異常はなかったが、打撲した患部を氷で冷やし続けると凍傷になった。「食事をした記憶もないし、寝たかどうかも…」と朝まで休場の2文字がちらついていた。

平成7年初場所で貴乃花を浴びせ倒しで破った魁皇=両国国技館で

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 支えになったのは、同期の横綱と対戦できるという一点に尽きた。土俵際で何度も弓ぞりになってこらえた逆転の一番。勝ち名乗りを受けた瞬間、緊張の糸が切れたように痛みがぶり返してきた。

 「ただただ必死。横綱相手と開き直れたからこそ、忘れられない相撲になった。初日の若ノ花に勝った相撲の内容なんて覚えちゃいないわけだから」。今でも色あせることのない思い出だ。

 この場所は9勝6敗。優勝した曙に土をつけたことが評価され、初の殊勲賞を受賞した。一方で、10日目は貴ノ花に完敗した。初白星は、7度目の挑戦となった翌年初場所。同期の中では最大の壁だった。「向こうが新横綱で、こっちが新関脇。中日(8日目)で天覧相撲だったはず。浴びせ倒しだった」。そらんじたすべてが正解。「左四つに組めば、横綱相手でも何とかなると自信になった」と、曙撃破に並ぶ転機の白星となった。

 番付を上り詰めた3人の中で、貴ノ花だけが同い年だった。幕下時代には巡業先で胸を出してもらったこともある。自身が新十両だった92年初場所では、貴花田として19歳5カ月で賜杯を抱いた。「『年が一緒だから、オレでも頑張れば』と奮い立たせてくれた。対戦する前の日は体が火照って眠れないくらい。年上の同期が番付を上げていくのとは、ちょっと違う感じでしたね」

引退後初の同期会で記念写真に納まる(前列右から)曙さん、貴乃花親方、浅香山親方ら=2013年7月、愛知・武豊町で

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 同期の3横綱が土俵を去った後も、10年近く、大関では最多の優勝を5回まで重ねるなど存在感を示し続けた。通算1047勝や幕内通算879勝は、ともに歴代2位。多くの金字塔を打ち立てた中で、最大の誇りは通算幕内在位107場所の歴代最多記録だ。

 「3人は、横綱としてボロボロになって早く辞めた部分もあった。あの人たちには追いつけなかったけど、長くやることで、違った形で同期として何か残せればという思いだった」。元関脇旭天鵬の99場所を上回る、史上ただ一人の100場所超え。この数字に、平成屈指の名大関の意地が凝縮されている。

 現在は浅香山部屋を率い、初の関取誕生へ弟子を鍛える日々だ。同期では唯一、日本相撲協会に親方として所属している。

 「入ったとき、95人くらいはいたのかな。ロクサン組もほぼ散った」と少し寂しげに笑ったが、すぐに力強い言葉が飛び出した。「自分が残っている。地元から弟子を紹介してくれた同期もいる。土俵への恩返しは、まだまだこれから」。これからは、新たな時代にふさわしい花を咲かせてみせる。 (志村拓)

土俵内外で話題を振りまいた貴乃花

手をつなぎ幸せいっぱいの貴花田(左)と宮沢りえ=1992年11月、東京都内のホテルで

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 「若貴ブーム」を引っ張った元横綱貴乃花の花田光司さん(46)ほど、土俵内外で多くの話題を振りまいた力士も珍しい。

 現役時代は「平成の大横綱」として角界を引っ張った。1992(平成4)年初場所、史上最年少の19歳5カ月で初優勝。96年春場所からは4場所連続優勝を飾るなど、歴代6位の優勝22度を積み上げた。

 私生活も派手だった。列島を揺るがしたのは、人気絶頂だったタレントの宮沢りえとの婚約とスピード破局だ。92年九州場所後の婚約記者会見では仲むつまじく指輪を披露したが、大関昇進を決めた93年初場所直後にあえなく解消。花田さんが20歳、宮沢りえが19歳の時だ。

 現役引退後は一代年寄として貴乃花部屋を創設。2010(平成22)年には二所ノ関一門を離脱して理事選に出馬し、当選した。新たに生まれた貴乃花一門を率い、14年には総合企画部長として執行部入り。日本相撲協会のナンバー3まで“番付”を上げた。

 将来の理事長として期待されたが、まさかの転落劇が待っていた。17(平成29)年九州場所前、弟子の貴ノ岩が元横綱日馬富士から暴行された問題がきっかけ。協会への報告を怠った上、調査にも非協力的だったとして史上初めて理事を解任された。

 さらに、昨年春場所中には弟子の貴公俊による付け人への傷害事件の監督責任を問われ、平年寄まで降格した。そして、昨年10月1日付で協会を退職。ピリオドも突然だった。一門、部屋など栄華を誇った「貴乃花」の名は角界から消滅した。

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